HR Professionals:人事担当者インタビュー

第16回 グループとしてJALフィロソフィを体現し、一体感をもって、元気に働くために

第16回 グループとしてJALフィロソフィを体現し、一体感をもって、元気に働くために

日本航空株式会社 意識改革・人づくり推進部 
担当部長 板谷 和代氏

2010年に経営破綻し、二次破綻があってもおかしくない状況の中、黒字化を果たし、再上場を果たした日本航空。そのとき、どのような教育・研修が行われてきたのか。その現場で指揮を取ってきた板谷氏にお話を伺いました。


板谷 和代氏  プロフィール

1979年東京女子大学短期大学部英語科卒業後、日本航空に入社。支店総務、カウンターセールス、リゾート開発、法人セールス等を経験した後、会社初の女性海外支店長として2005年6月よりウィーンに単身赴任。2009年5月末に帰国。現在、人財本部 意識改革・人づくり推進部 担当部長として、産業カウンセラー/キャリアコンサルタントの知識も活かし、JALグループの人財育成を担当。
社内でなんとなく天井が見えはじめていた30代後半に思い立ち、大学の通信教育過程(編入)を経て産業能率大学大学院経営情報学研究科(夜間・土日)へ進学。2002年 MBAを取得。2012年より一般社団法人「経営学習研究所」理事。趣味は「元気の種まき」。


意識改革が急務。社長直轄の「意識改革推進準備室」が発足

― 「意識改革・人づくり推進部」というのは、大変ユニークな名称です。まず、この部署について教えていただけますか?

2010年に経営破綻し、稲盛氏が再建のために会長になった際、「経営再建のためにはまず意識改革が急務」と言われました。そこで直ぐに、社長直轄の組織として「意識改革推進準備室」が立ち上がりました。2012年には、人事本部の下にあった「人づくり推進室」と合体し、「意識改革・人づくり推進部」へ。「意識改革推進部」が「フィロソフィグループ」に、「人づくり推進室」が「教育・研修グループ」となり、2013年、人事本部が人財本部と組織改編した時に、部ごと人財本部の下に移って、今に至っています。

― 経営破綻の際には、板谷さんは教育のご担当をされていたのですか?

はい、人事本部にあった「人づくり推進室」で室長兼社内教育・研修を担当するグループのグループ長をしていました。しかし、従業員は大幅に減り、新規採用も凍結し、とにかく会社を立て直すことが最優先課題となっていましたから、階層別研修や新入社員研修といった、従来の研修はすべてストップしました。その意味では、実質、社内失業に近い状態でした。

新体制下の「教育」という意味では、まず、会長の稲盛が、役員、本社の部長クラスの社員を教育することから始まりました。一か月間かけて、業務外の時間を使い、みっちりとリーダー教育を行いました。

その教育を受けた社長(当時)の大西と社長に指名されたメンバーたちが、JALグループの企業理念とJALフィロソフィ作りに取りかかり、経営破綻からちょうど一年が経った2011年1月に、JALグループ企業理念とJALフィロソフィが発表されました。

2011年の4月には、これらを土台としたJALフィロソフィ教育が立ち上がりました。これが、破綻後の社員教育のスタートです。最初の教育が、従来型の教育の改修ということではなく、意識改革を目指したものだったということは、再建のための重要な基礎となったと思っています。

JALグループ全体が対象 現場の人財がJALフィロソフィ教育を企画・運営


この意識改革の最大の特長は、JALの社員に対してだけではなく、JALグループ全体、JALの翼を支えている人すべてを対象にした、ということでしょう。例えば、地方空港でお客さまのハンドリングをお願いしている会社や機内食を提供している会社、社員食堂で調理を担当している社員たちも対象になります。会社を立て直していくにあたって、「グループ全体」ということが、重要なポイントだと痛感したからです。

残念ながら、破綻直前は、縦割り意識が強く、グループとしての一体感が希薄になっていたと思います。お客さまにとっては、予約からチェックイン、現地到着まで、様々なタッチポイントをどの会社が担当しているかなど、まったく関係ありません。ただ、「JALを利用した」という一つの経験です。そんなことが忘れられがちなのではないか、という危機感から、JAL単体の社員だけではなく、JALの翼を支えている人全員に対してJALフィロソフィを浸透させる、ということにこだわりました。

― JALフィロソフィ教育は、具体的にはどのように運営されているのですか?

フィロソフィグループで教育を担当するメンバーは、基本的に現場の人財が中心です。現役のパイロット、客室乗務員、整備士、営業担当、空港で荷物を扱うグランドハンドリングの人やチェックイン担当者など、様々な現場の人財がファシリテーターを担当しています。

― 現場の仕事をしながらお手伝いということではなく、正式に異動してくるのですか?

はい、一部の職種は兼任となりますが、基本的に異動発令が出され、グループ会社の社員なら出向となります。任期は、平均して約1年といったところです。

― 具体的な教育方法は?

研修は一回2時間、年に4回行いますが、基本的に毎回全員参加です。言いかえれば、全員が、年に4回、JALフィロソフィ教育を受ける、ということです。教育内容は毎回変わります。この内容を考えることが、フィロソフィグループの重要な仕事のひとつとなります。

JALフィロソフィは、40項目からなっていて、それが大きく第一部と第二部に分かれ、それぞれが4章と5章にまとめられています。社外にも公にしていますので、是非ご覧になってください。(JALフィロソフィ

メンバーたちは、現場に取材するなどして、次回のテーマとするJALフィロソフィを1〜2項目選び、それを伝えていくための、具体的な内容、進め方まで設計していきます。もちろん、実際の運営もチームの仕事です。毎回内容は異なりますが、基本的には一方的なレクチャーではなく、参加メンバーたちが自発的に発言、考えることができるような仕掛けにしています。

ほとんどが初対面の仲間たちとJALフィロソフィについて考える


研修を作り、運営する人財が多様ならば、一回一回集まってくる人財も多様です。どの回に誰が参加するかは、基本的に本人からの申し込みで決まります。仕事の性質上ローテーションがあるような職種の場合は組織が割り当てることもありますが、部署毎にまとめて、ということにはしていません。ですから、いろいろな会社や部署から集まってきた、ほとんどが初対面というメンバーとJALフィロソフィについて考えることになります。

― グループ会社の方たちも入っている、ということですね?

はい、そうです。業務時間内に行いますから、制服を着ている人も多く、飛行機を飛ばすためには、本当にいろいろな人がかかわっているんだな、と実感できる場でもあります。グループ会社の人たちにとっては、「自分たちも、JALの一員である」ということを明確に自覚できる、非常に強いメッセージにもなっているようです。そういうこともあってか、第二部第三章にある、「最高のバトンタッチ」は、人気の項目のひとつですね。お客さまが通過していくタッチポイントを、会社や職種を超えてバトンタッチしていくということの重要性が、一言で表されているからでしょう。

実際、私の部下が、グループ内で順番に協力して行う作業の手順を誤って、関係者に二重の手間をかけてしまったことがありました。そうしたら、私がチェックする前に、「今回は最悪のバトンタッチでした!」と謝ってきました。そんな風に、JALフィロソフィの言葉や概念が、通常業務の中での会話に自然に出てくるようになっています。

また、JALフィロソフィの項目を見ていただくとわかると思うのですが、「人間として何が正しいかで判断する」とか、「美しい心をもつ」など、基本的な道徳の範疇に入る項目も多数あります。そういったことを、若い世代は醒めてみるんだろう、抵抗感を覚えるんだろうと、漠然と想像していました。しかし、JALフィロソフィを発表した翌年の2012年、あるグループ会社の新入社員向けの研修の際に、若い人たちからは、「こうした考え方の会社は本当に社員を大事にしていると感じる」、とか、「社員の物心両面を考えてくれていることがわかって、この会社に入って良かったと改めて感じた」といった、ポジティブな反応が多数出てきました。これは嬉しい誤算でした。

「道徳などやってどうするのか?」ネガティブな反応を変えていく、地道な成功の積み重ね

― 昔からいる社員の方々も含めて、JALフィソロフィに対する反応は、基本的にポジティブなものでしたか?

概ねポジティブに受け止めたと思いますが、もちろん、一部には「なんで、こんなことを今さら」「道徳をやってどうなるんだ」と、反発する人たちがいなかったわけではありません。何かを大きく変えていくときには、ある程度仕方のないことだと思います。ただ、二次破綻があってもおかしくない状況の中、黒字化を果たし、再上場を果たすことができた、という事実は誰にも否定することはできません。いろいろなことが変わった、変わったことでビジネスが成功するようなったと実感する人が増えることで、JALフィロソフィに反対する人は徐々に少数派になってきていると思います。人の意識を変えるのには時間がかかりますし、それを押し進めるのは頭での理解や押しつけではなく、地道な成功の積み重ねだと思っています。

― 研修以外に、JALフィロソフィを定着させる活動はありますか?

2014年末に、「第四回JALフィロソフィ発表大会」を開催しました。「JALフィロソフィを知ってから、仕事上でこういう行動をとるようになりました」という事例を、全グループから募集しています。これはあくまで発表大会で、奨励賞を授与するのですが、一番二番を争うという形式を取っていません。あくまでも、皆に紹介してほしい事例を選ぶ、というスタンスです。

意識改革・人づくり推進部長、フィロソフィグループ長、教育・研修グループ長だった私で手分けをして、それらすべてに目を通し、8事例を選出。その対象者には、200名ほどの聴衆の前で、対象の事例を発表してもらいました。その中の一人は、上海で働く中国人社員でした。彼女を含め、皆が堂々と発表してくれたのが、印象的でした。

これと並行して、「JAL Awards」という表彰制度も運営しています。こちらは本人が応募するのではなく、各本部やグループ会社単位で表彰を受けた人たちを、各本部・グループ会社から推薦してもらい、JALグループ横並びで審査をして、表彰する、というものです。委員長はJALの社長です。こちらは、前述の発表大会とは異なって、優れた功績をあげた取組みの表彰をします。

カテゴリーは、JALフィロソフィに基づいて、「採算性の鑑部門」「お客さま思い部門」「美しい心部門」「安全の砦部門」に分かれています。こうした表彰自体は、破綻前からあったのですが、名称を変更したり、JALフィロソフィの考え方や言葉をしっかりと入れるなどして、全面的に作り直しました。

スタートは、「現場の元気に灯をともす」研修 「うきうき」「わくわく」「いきいき」

― ここまでJALフィロソフィ研修について伺ってきましたが、それ以外に、いわゆる従来型の社内研修はどうなっていったのですか?

最初に再開したのは、モチベーションとコミュニケーションの研修でした。

2010年に経営破綻し、5万人いた従業員が、3万2千人までに減り、厳しい現実が容赦なく目の前に突きつけられました。それでも、先が見えないなか、飛行機を確実に飛ばし続けたわけですから、残った者は皆、不安と戦いながら必死でした。

その頃、実質「社内失業状態」となっていた私は、積極的に現場のヒヤリングに足を運んでいました。そこで聞こえてきたのは、「頑張りたいのだけれど、どうしていいのかわからない」「尊敬していた先輩が辞めてしまい、とても不安」といった、声でした。「絶対にこの会社に元気を取り戻したい」、「そのために私は、現場に元気の火を灯すのだ」、と決心しました。

そのための研修として、モチベーションとコミュニケーションを選んだのです。

― 具体的にはどのような研修を企画・運営されたのですか?

年齢・勤続年数に応じて、「仕事うきうきコース」、「仕事わくわくコース」、「仕事いきいきコース」という研修を実施しました。一刻も早く現場に元気を取り戻したいと思っていましたので、2011年の後半には「仕事うきうきコース」をスタートさせました。意識改革推進部と合併する前のことになります。

― こちらも、破綻後最初の社内研修としては、大胆なネーミングのような気がしますが・・。

そうですね。実際に、最初にこの企画を役員に持っていたときには、却下されました。もっと研修の本質を表した名前が好ましい、研修の名前は神聖なものだから、もっとちゃんと考えなさい、と。でも、私としては、「うきうき」「わくわく」「いきいき」こそが、この研修の本質だと考えていましたので、冠に「仕事」をつけることで、どうにか承認を得て進めました。

一連の研修で力を入れたことのひとつは、とにかく皆が一体感を持つことです。会社や職種という枠を超えて、ひとつのJALとして再出発したいと強く思ったからです。ですから、グループ横断の研修ということにこだわりました。私がJALに入社したときには、グループ経営ではなく、様々な部署や職種の人たちが皆同期だったという経験をしています。ですから、グループ横断に抵抗感がなく、かえってそちらの方が自然だ、という感覚が残っていたのも少し影響しているかもしれません。

例えば、若手社員を対象とした「仕事うきうきコース」では、大きなポスターの裏面の真ん中に飛行機を描いて、そこに自分の仕事を絵で表現したうえで自己紹介をする、というアイスブレイクから始めるようにしました。パイロットや客室乗務員は飛行機の中に自分を描きますし、飛行機の誘導員はバトルと言われる道具を持っていたり、ITの人は予約端末を描いたり、、、飛行機をいろいろな仕事が囲んでいくのです。そうすることで、「こんな仕事もあるんだ」と発見したり、「この人ともつながっているんだ」というイメージが湧いたり、ただ会ったときにはなかった、気持ちのつながりが生まれてきます。

印象的だったのは、JALカードの社員が参加したときのことです。自分は飛行機とは関係ないと、隅の方にカードの絵を描いたのです。すると、空港でチェックインに関わっている社員が、「え、何いっているの?お客さまはみんなJALカードを持ってチェックインにくるんだよ」といって、自分の描いた空港社員のところに、手にJALカードを持っているお客さまを描き加えました。その社員は、それを見て初めて、自分も飛行機を飛ばすことに関わっているんだということに気がついた、ということがありました。

当時人員も削減されて、みんな、「働くって、要するに生きていくためだよね」といった、ギスギスした気持ちになりがちでした。そこで、研修内容は、「明日からうきうき仕事に行こう!」という気持ちになってもらうことを目指しました。具体的には、働くってことは、お客さまの笑顔のため、仲間の笑顔のためだよね、それで会社で働くことが楽しくなって、結果が出せたらいいよね、ということを、DVDを観たり、お客さまからいただいたお褒めのメールを紹介したりしながら、皆でじっくり話し合っていきました。

「応援の言葉」「お褒めの言葉」で、上下のコミュニケーションを促進


また、こうした研修は、職場に戻ってからも効果を持続させなければ意味がありません。そこで考案したのが、研修後1カ月頑張ることを決める「うきうき宣言」です。宣言には、研修を共にしたメンバーから応援メッセージを書いてもらい、それも含めて職場の上司に提出してもらうことにしました。そして、上司からも応援メッセージをもらう。本人は、1カ月頑張ったあと、自分で自分を評価する。それを再度上司に提出して、上司からお褒めの言葉をもらう。本人はそのコピーを研修事務局に送ってきて、研修が終わる。という仕掛けにしたのです。ここでは、上下のコミュニケーションを増やそうという意図もありました。

― 実際のシートにも、「応援メッセージ」「お褒めの言葉」と書いてあるのですか?

はい。最初は、「コメント欄」としていたのですが、そうすると、人事考課みたいなことを書いてくる上司が多くて、これはダメだと(笑)。また、上司に、自分の宣言に対してコメントをもらうことに、抵抗がある受講者も少なくなかった、ということもあります。ですから、「評価ではなくて、応援とかお褒めなんだから、大丈夫」と。「もし上司が変なこと書いたら、私が電話するから」といって、この方法を進めていきました。

― 本当に電話されたケースはあったのですか?

はい、直接、上司である部長に電話をしたことがあります。全然褒めていませんでしたから。でも、電話で話をしてみると、悪気があったわけではなく、かえって「他の方はどういう風に褒めているんでしょう?」と聞いてきました。褒め慣れていない上司がいる、という発見があったのも、結果的に収穫のひとつでしたね。

この研修での経験は、その後、新体制での階層別研修を企画する際の、発想の原点となっています。例えば、新入社員教育。個社を超えたグループのとしての一体感を醸成したいと思うなら、入社当初からその枠組みで進めればいいのだ、と。そこで、2013年度からは、グループ合同新入社員教育を始めました。2015年度は、4月に入社した819名を対象に、職種・会社の枠をすべて取り払って、入社式から4日間、JALグループ企業理念、JALフィロソフィ、そして安全とサービスの重要性を徹底的に学んでもらいました。そして、全員で、空からも見えるほどの大きさの横断幕を持って、飛行機に手を振るというセレモニーで研修を締めくくり、そこから、それぞれが専門訓練や各社の研修に飛び立っていきました。

新任管理者研修も、各社・各現場で様々な管理職がいるわけですが、JALグループの管理職として最低限の知識と意識は揃えようと、グループ合同で実施しています。また、グループマネジメントという制度も導入しています。

総務から、ホテルの立ち上げ、オーストリア営業支店長 そして出会った人財育成の仕事

― 板谷さんが、破綻という状況の中で、冷静に、かつ熱い思いを持って教育・研修に取組み、グループの一体感やJALフィロソフィの浸透に大きく貢献されてきたことがわかりました。
ところで、板谷さんはそもそも、ずっと人事で教育を担当されてきたのですか?

いえ、人事の仕事に関わるようになったのは2009年からです。それまでは、いろいろな仕事を経験してきました。最初に配属されたのは、東京支店総務部総務課総務係です。4年目には、カウンターセールス部に異動し、接客業務も経験しています。その後、関連事業本部企画部という部署では部長の秘書的な業務も担うようになりました。

バブル経済のちょうど終わりごろ、ハワイにスパ付きリゾートホテルを作るかどうかで、その部長が出張することに。その際、「女性の視点も必要では?」ということで、スパの本場、アメリカ出張の機会が飛び込んできました。そこでのスパ体験がとても素敵でしたので、「スパはあった方がいい!」とワーワーと言っていたら、「会社の金で経験しているんだから、ちゃんとレポートを書け!」とはっぱをかけられて。本当に良いと思ったので、リゾートについて必死に調べたりしながら、企画書をまとめました。それがあったからかどうかはわかりませんが、「イヒラニ リゾート&スパ」というホテルの完成を前に、声をかけていただき、ホテルリゾート事業部に異動となりました。

そこでは、東京事務所の立ち上げから、広報、個人顧客の旅程アレンジ、ゴルフ場の予約など、ホテルを成功させるためのありとあらゆる仕事に関わっていきました。当時、「板谷には、背中に『イヒラニ』という入れ墨があるらしい」といううわさがあったくらい、このホテルの仕事にのめり込んでいました(笑)。

ただ、バブルも崩壊し、会社の業績も芳しくなくなってきて、ホテルは売却されることに。そこで、JAL国際線の法人セールスへの異動の辞令が出たのです。その時すでに39歳になっていましたので、今からセールスっていうのもなあ、と思って会社を辞めようかとも思ったのですが、幸い引きとめてくれた上司がおりました。セールスに異動してみると、ホテルの担当をしていたときと比較して、時間に余裕がありました。そこで、自分には経営の知識が足りないと感じていたこともあり、通信教育の大学の3年生に編入して、マーケティングの教授の下で、顧客満足に関する卒業論文を書きました。

卒業論文に取り組んでいくうちに、大学院も楽しそうだなと思うようになり、院への進学を決心します。ただ、自分が深堀したいのはマーケティングではないな、と感じ始めていました。自分の興味をつきつめていくと、リーダーシップとか、現場におけるモチベーションだということに気がつきました。そこで、大学院では、組織行動論について研究をしました。

― そこから、人事の分野へ?

いえ、院を修了したあと、人事に論文を読んでもらったりしていましたが、特に大きな変化はなく、しばらくセールスの仕事を続けていました。しかし、ある日突然、「海外転勤できますか?」という打診が。

― ご希望を出されていたのですか?

いいえ。私は、もともと地域採用組で、通常はあり得ない配置転換です。しかも、管理職に昇進するとともに、行き先は、JALウィーン営業支店長兼ジャルパック・インターナショナル・オーストリア社長。私も驚きましたが、社内でも大騒ぎだったようです。女性がこのようなポジションに就くのは初めてでしたし、途中で学士・修士を取ったとはいえ、入社時は短大卒のいわゆる事務職採用でしたから。

都合4年間、ウィーンで働きましたが、対前年売上は毎年伸ばすことができました。その成功体験を通じて、組織の元気、皆が嬉しそうに働けている環境は実績とつながっているということを実感しました。それが、大学院で研究したことともつながって、これはもう人財育成をやるしかない、と。実は、ウィーンにいるころから、「人財育成をやりたい!」と騒いでいたんです(笑)。ですから、帰任の時に、ロンドンにいるヨーロッパ地区の支配人から電話がかかってきて、「次は人財育成だよ」と言われたときは、本当に嬉しかったですね。

― そうした数々の経験が、経営破綻という逆境のなかで、研修を企画し、実行する原動力になってきたのですね。

人事の世界にきて、驚いたことがひとつあります。人事の世界では、他の会社の人事の方々と親しくなれる、ということです。営業にいた時にはみんなライバル、という感じでしたから、そんなことは考えられませんでした。今では、いろいろな会社の人事の方や、アカデミックの世界の先生方と活動を行っています。

少し前に、「ストレングスファインダー」を受けて結果を見たとき、引っ繰り返るほど笑いました。自分の5つの強みが、今の仕事に、あまりにぴったりはまりすぎてたからです(笑)。やっと自分を100%生かせる仕事に就いたんだなって思いました。まだまだ、取り組みたいことも多いですから、どんどん挑戦していきたいと思っています。

― 本日はどうもありがとうございました。



取材・文 大島由起子(当研究室管理人)/取材協力:楠田祐(中央大学大学院戦略経営研究科 客員教授)

(2015年4月)


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