第105回 「根本病患者」と「だましだましの復興」

年始、いつも楽しみにしている「小田島隆の『ア・ピース・オブ・警句』」(日経ビジネスオンラン連載)の中で、
非常に興味深い記事が紹介されていたのを発見しました。

「小田島隆の『ア・ピース・オブ・警句』」

 最新号は「ハルマゲドンと『グレートリセット』という願望」というタイトルで、オウム真理教へのめり込んでいっ
た当時の若者たちと大阪をめぐる選挙について、ユニークな視点から読み解いていく、というものでした。

その中で、昭和11年、2.26事件後に当時新聞記者だった石橋湛山が、「根本病患者」という言葉を使って、
日本人の性急さをいましめるために書いた原稿が紹介されていました。石橋はそれによって全体主義に傾倒していく政治の動きに対して警告を発します。

「記者の観るところを以てすれば、日本人の一つの欠点は、余りに根本問題のみに執着する癖だと思う。
この根本病患者には二つの弊害が伴う。第一には根本を改革しない以上は、何をやっても駄目だと考え
勝ちなことだ。

目前になすべきことが山積して居るにかかわらず、その眼は常に一つの根本問題にのみ囚われている。
第二には根本問題のみに重点を置くが故に、改革を考えうる場合にはその機構の打倒乃至は変改のみに
意を用うることになる。そこに危険があるのである。」

(「改革いじりに空費する勿れ」昭和11年4月25日『東洋経済』社説)

そして、日本は、石橋が懸念した通り太平洋戦争へと突き進んでいくことになります。


この記事を読んだちょうど同時期に、建築家の隈研吾氏が、こんなことを書いているのを目にしました。

「震災復興に果たす建築家の役割は大きいのですが、たんに瓦礫をきれいに片付けて、そこにユートピア
のような未来都市を計画するだけでいいのだろうか。

震災のたびに復興ユートピアが語られますが、実はこれで万事OKというような理想郷はどこにもないのです。そういうフィクションに頼るのではなく、建物と町の記憶を少しずつたぐりよせながら、現状を少しだけ変えていくことしか私たちにはできない。

私はそれを『だましだましの復興』とあえて呼んでいます。このとき大切なのは、人間の感覚や尺度という
ものをもう一度見直すことです。」


私たちを取り巻く環境が劇的に変化していく、しかもそれは決して望ましい結果にはつながらないと感じる
とき、目の前にある“旧弊”(と見えるもの)をたたき壊したくなります。実際、そうしたことが早急に求められ
ている分野は少なくないと思ってもいます。

ただ、そもそも自分たちはそもそも何者なのか、そんな自分たちに継続的にできることは何なのか。

既存の仕組みをゼロベースで考え、必要であればそれを否定できる大胆さと柔軟さを持ちながらも、
彼らが指摘するように、今目の前にあって自分たちにできることにも同じくらい心を傾けなければ、自らの
良さも失ってしまったうえに、新しい地点にも到達できない危険性があるのだと、考えさせられました。


12日前に元旦を迎えました。普通に考えれば日が一日過ぎただけなのに、元旦には世界が違って見える
から不思議なものです。そこで、新年を迎えて気分一新、新しいことに取り組もうとされている方も多いと
思います。私もその一人、新しい目標を立てました。


そのとき、「うまくいかなくなったゲームのスイッチをバチリとオフ」にしてしまうように失敗も含めた過去の蓄積
を手放してしまうことなく、新しく目指す場所に歩を進めていきたいと思いました。


【今回参考にさせていただいた情報】

「二・二六事件と“改革病”」/田中秀臣

「美しく老いていく建物の価値を見直す」隈研吾
(THE NIKKEI MAGAZINE STYLE 6 January 2012)

 

(2012年1月12日)

 

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