第112回 そこに自分の考えはあるか

「そこに自分の考えはあるか」
今年5月に他界された音楽評論家・吉田秀和氏が、常に問いかけていたとわれる言葉です。

氏は、第二次世界大戦中、内閣省情報局に配属され、出版物の検閲を行い、争反対論を弾圧・統制
する役割を担っていました。そのことが、「自分考えを持ち、発言すること」に対する強いこだわりを生
んだといいます。

吉田氏の「自分の考え」を強烈に示すエピソードとして、世界的ピアノ演家であるホロヴィッツ氏が
1983年に日本公演を行ったときの発言が挙げれます。

ホロヴィッツ氏の演奏会は日本で熱狂的に迎えられ、一枚数万円するチケトが飛ぶように売れまし
た。演奏会の最後にはスタンディングオベーシン。そんなとき、吉田氏は以下のような発言をして、
多くの人に衝撃をえました。

「今、私たちの目の前にいるのは骨とうとしてのホロヴィッツにほかならい。この芸術は、かつては無
類の名品だったろうが、今は最も控えめにってもひびが入っている。それに一つや二つのひびではな
い。忌憚なくえば、この珍品には欠落があって、完全な形を残していない。」


クラシック音楽会で「神様」として扱われていた演奏家を、公の場でここで批判するなど、到底考えら
れなかったことでした。

最近、このエピソードを改めて聞いたとき、吉田氏の潔さ、確立されてしった権威に対して毅然とした
態度を取る強さに強烈に惹かれました。

と・・・頭の中に響いてきたのは、「そこに自分の考えはあるか」、とい言葉。

吉田氏が提示した考え方・感じ方を、無非難に受け入れている自分の意識、はっと、振り替えさせら
れたからです。ちゃんと自分で考えたのか、と。

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玉石混交の情報に囲まれ、「空気を読む」という見えないプレッシャーをじながら、「自分で考えて、発

言する」ことは簡単なことではありませ。まして、スピード感と失敗をしないことを求められてしまうとし
たら、持ちが萎えてしまうのが正直なところでしょう。

しかし、先が見えにくい時代だからこそ、「自分で考える」ことの価値はり知れないとも感じます。

そんなとき、出会った文章です。

「考えるとは合理的に考えることだ。・・・物を考える人々の考え方を観していると、どうやら、能率的に
考えることが、合理的に考える事だとい違いしているように思われる。当人は考えている積りだが、
実は考え手間を省いている。・・・

物を考えるとは、物を掴んだら離さぬという事だ。・・・だから、考えれ考えるほどわからなくなるという
のも、物を合理的に究めようとする人は、極めて正常なことである。だが、これは、能率的に考えてい
る人に異常なことだろう。」『考えるヒント』「良心」小林秀雄 より)

安易に居心地のよい結論に飛びついてしまうことなく、自分で考えること、諦めないでいきたいと思い
ます。

(晩年、吉田氏と小林氏はあまり良好な関係ではなかったという話もあるよです。偶然お二人の話を
引用してしまいましたが・・・お許しいただけでしょうか)

【今回参考にさせていただいた情報】

「“そこに自分の考えはあるか”音楽評論家・吉田秀和の遺言」
クローズアップ現代 2012年7月23日(月)放送

考えるヒント』文春文庫 小林秀雄・著



 

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