第124回 年を重ねても色あせない、必要とされる実力をつけているか


つい先日まで、ご多分にもれず、NHKの朝の連続テレビ小説「あまちゃん」を観ていました。最後に連続テレビ小説を観ていたのは1996年のこと、本当に久しぶりでした。

15分、ゆっくりと時間をとることは難しく、基本的に録画をして鑑賞。自ずと予約の際に番組表を見ることになります。するとBSでは、以前の連続テレビ小説が再放送されていることがわかり、ついでに録画して見るようになりました。

「おまけ」で録画したのは5年ほど前の作品でしたが、その脇役には「あまちゃん」でも脇役を演じている俳優さんが、何人か出演していました。そして彼らは、まったく異なる人物像を見事に演じ分けていました。あまりに違う印象に、念のためオープニングで役者名を確認したほどです。これが「実力」というものなんだな、と感服しました。本当の「実力」とはおそらく、年を重ねても色あせない、逆に年を経るごとに広がりと深みを持っていく、だからこそ必要とされるものなのでしょう。

5年前の作品の主人公を演じた女優さんはその後大活躍していますが、中には、昔は主役級の役をきらきらと演じていたのに、今はまったく異なった印象になってしまい、それでも昔のように振舞っている人を見ることがあます。

何も、こうした状況を上からの目線で嘲笑しようというのではありません。芸能界という人目に触れやすい場所にいるから、そうしたことが分かりやすいというだけでしょう。年を重ねていけば誰もが、こうした状況に陥る能性を秘めているということに、自戒の念を込めて考えさせられました。

注目される映画やテレビ番組で主役級の仕事をしてきた人でも、どこかで主役をもらえなくなる時期がやってきて、ちやほやされることも減っていくという転換点を経験しているのではないかと思います。しかし、見事に立ち位置を転換し、若さや単純な美しさを超えた魅力を放って、主役を支える役者になっている、もしくは以前とは全く異なる役柄で主役を張っているような方々を見ます。

年を重ねる毎に、必要とされる実力を上げていく。ある時自分の立場を受容して気持ちを転換し、新しい自分の価値を生み出す。朝の連続テレビ小説の中にそんな役者さんたちをみて、かくありたいと思いました。

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今、企業の人事の方々とお話をしていると、継続雇用の問題が話題になることが少なくありません。長く働ける代わりに、ある時点から、それまで持ってきた権威・権力を失って、賃金も下がる。そうした人たちにいかに力になってもらうのか。

大企業の事業部長まで務められた後、役職定年を迎えられた方とお仕事をご一緒させていただいたことがあります。若手の育成に大変熱心に取り組まれていて、私自身勉強になりましたし、その働きぶりに何度も、「まだだ若い私が、何を小さくまとまっているんだろう」とお尻を叩かれる思いをしたものです。

しかし実は、役職が解かれた直後の1,2年は、自分で認識している以上に打撃を受けていたということです。あるきっかけで前向になることができた後に、ご家族から「あのときのお父さんはかなりおかしかった。どうしようかと思った」と告げられたそうです。この方にして、その変化を乗り越える痛みは大きかったのだと思い、事の大きさを改て突き付けられました。

これは、1年2年の意識づけでどうにかなる問題ではないのでしょう。会社側だけが一方的に責任を負う問題でもないでしょう。高齢化社会を迎える私たち、そして必ず「高齢者」になる私たち自身が、我がこととして、今ぐ真剣に考える必要があると痛感しています。


(2013年11月21日)
破壊と創造の人事

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