第131回 「当たり前」を疑う。「当たり前」を信じる。


暑い日が続く中の週末、スーパーマーケットで切り売りされていたスイカの魅力には勝てませんでした。冷蔵庫で一日冷やして美味しくいただきました。

と、その日いただいたスイカの皮は実に厚い。それまで考えたこともなかったのですが、「これをそのままゴミ箱に入れるのは、あまりにもったいないのでは」という考えが、頭に浮かんできました。(それくらい厚かったのです)

さて、ぬか床は持っていません。鈴虫なども飼っていません。それ以外は、スイカの皮=捨てるもの、でしたので、どんな風に使えるのか想像ができませんでした。そこでまずは「スイカの皮 レシピ」で検索をしてみることに。すると、かなりの数が出てくるではないですか。「クックパッド」で344件。目からうろこでした。

その中から好みに合うものを選んで、さっそく料理をしてみました。正直それほど期待していなかったのですが、これが意外にいける。

スイカは中の赤い部分を食べるもの。これが私の「当たり前」でした。ですから、皮は、赤い部分の美味しさを担保できる厚みを限度に、薄い方が「良い」と思っていました。

しかし、皮にも利用価値があるとなったら、「良い」スイカの定義は少し変わってきます。実際に、次回私がスイカを選ぶときには、ある程度しっかりとした厚みのある皮のスイカを選ぶと思います。先日作った箸休めを、もっと美味しく作ってみたいと思っていますし、それ以外にもスイカの皮の可能性を試してみたい気持ちになっているからです。

スイカは赤い部分を食べて、皮は捨てるか、ぬか床に入れるか、虫の餌にするのが「当たり前」。そのあたり前を疑ったとき、世界がほんの少しだけ拡がりました。

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英国には、ノーベル賞が当たり前、という研究所があるそうです。キャンベンディッシュ研究所です。1871年の設立以来、2012年までに29人のノーベル賞受賞者を輩出しています。ある博士がノーベル賞を受賞した際には、研究所から「15番目のノーベル賞、おめでとう」というメッセージが届いたとか。ノーベル賞を取るためにはベースの能力や努力が大前提ではありますが、全般的に、人間には当たり前だと思い込むと、難しいことも何となくできてしまう、という心理があるそうです。

この話を書いていらしたのは、横浜サイエンスフロンティア高校のスーパーバイザーである和田昭充氏(東京大学名誉教授)。同校は外部から高名な先生を頻繁に招いて講演をしてもらっているそうですが、そこでの当たり前は「質問をすること」。講演後には、質問のマイクの前に必ず20人以上が並ぶそうです。日本の若者(若者に限らず、でしょうが)は、話をきくばかりでなかなか質問をしないとは良く耳にすることです。しかし、同じ国の同じ年齢の若者でも、「当たり前」の設定によって行動に大きな差が出るということです。

私の周りにも沢山の「当たり前」があります。その「当たり前」は本当に「当たり前」なのか、考えてみる価値があるなあと思っています。「できない」「無理」「いらいない」の「当たり前」は、「当たり前」の軸を変えてしまうことで、新しい展開があるかもしれません。まずは、このメールマガジン、200回くらいは当たり前の通過点、という設定をしてみたいと思います。

【参考にさせていただいた資料】 
Techno Online 「当たり前効果・武者修行が培うもの」経産業新聞 2014.2.4  
東京大学名誉教授 和田昭充


(2014年8月21日)
破壊と創造の人事

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