第71回 たかが「イメージ」、されど「イメージ」

奥田瑛二という俳優(今では映画監督としても世界的に認められるようになったようですが)をご存じの方は多いかと思います。

「奥田瑛二」と聞いて、どんなイメージを浮かべるでしょうか?

私は、いわゆる「トレンディードラマ」といわれるテレビドラマが一斉を風靡した、80年代に青春時代を送りましたので(おおよその年がわかってしまいますが)、「奥田瑛二」と言えば「トレンディ俳優」、ちょっと格好をつけた二枚目俳優、というイメージを、ずっと持ち続けていました。

もちろん、彼が年を取ってからも、映画やドラマで見たことはありますが、「見た目が良い俳優」というカテゴリから外れることはありませんでした。

奥田氏は18年前から映画監督を目指すもののうまくいかず、一旦挫折。8年をかけて監督業の勉強を重ね、10年前に監督として本格的にデビューしたそうです。そうして2006年、モントリオール世界映画祭でグランプリ、国際批評家連盟賞、エキュメニック賞の3冠を受賞することになりました。

そのニュースが新聞の紙面をかざったとき、私は若干ぽかんとした気持ちになりました。映画を良く知っている方なら、2001年に撮った作品が、ヴェネチア国際映画祭批評家連盟週間で反響を呼び、パリ映画祭、AFI映画祭でグランプリを受賞した、ということをご存じだったかもしれません。

しかし、私には晴天の霹靂。どうして、あのルックスが良いことがウリだった俳優が、映画監督として大きな脚光を浴びているの・・・?

奥田氏を良くご存じの方が私の今の発言を読んだら、「何言っているんだこの人は。何もわかっていない!!」と憤りを感じられるかもしれません。(そうだとしたら、すみません。でも、瞬間的にそう思ってしまったのです。)

これが一度植えつけられてしまったイメージの怖さだと思いました。

それを、自分自身の反応で感じさせられました。

彼がどんなにいい演技をしていても、映画を撮ったと聞いても、私は、自分が一旦持ってしまったイメージを簡単に手放すことができなかった、ということですから。

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今や、映画監督としての名声を確固たるものにした、クリント・イーストウッド。彼も、長年「マカロニ・ウエスタン」(1960年代 - 1970年代前半に作られたイタリア製西部劇。B級作品という評価が強かった)の役者というイメージから抜け出すのに苦労したと言われています。

そこから抜け出すきっかけを与えてくれたのは「ダーティー・ハリー」という刑事ドラマのシリーズですが、ハリーのイメージもまた、しばらくの間クリント・イーストウッドのイメージを狭めたと思います。

クリント・イーストウッドが自分本来に近いイメージで捉えられるようになったのは、いくつもの良質な映画を長年作り続けていった結果でしょう。(彼は1971年からずっと映画を撮り続けています。)

彼の作品は、アカデミー賞などメジャーなタイトルを獲得していますが、それだけで終わっていたとしたら、またそのイメージが固定されたはず。

一回のインパクトのある出来事が、良くも悪くもその人のイメージを決めてしまう。それを覆していくには、地道な積み重ねを続けるしかない ということなのだ、と痛感します。

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映画つながりということで・・・

6年ほど前、日本人の少年がカンヌ映画祭で最年少主演男優賞を取りました。マスコミ(=大多数の私たち)は、そのニュースに大騒ぎをしました。天才俳優の誕生!といった興奮ぶり。

その直後は、彼の顔を、映画やTVCMで繰り返し見ることになりました。しかし次第にその数は減っていき、次に大きなニュースとして飛び込んできたのは、「自殺未遂か?」という文字でした。(その後、本人は否定)

この俳優については表面的な二次情報・三次情報が入ってくるだけなので、想像でしか言えませんが、彼は、世の中に知られるようなった時に周囲の人が持ってしまったイメージと、本来の自分とのギャップの大きさに苦しんだのではないかと思います。

彼が、なのか、彼の周囲が、なのかはわかりませんが、その限りなく「虚」に近いイメージに合わせるために、空しい努力がされたのではないかと思っています。本来の彼を活かしていくための、地道な繰り返しという選択肢を取らずに。

私たちが何となく持っている、「格好いいやつはそれを武器にして成功しているから実力は伴っていないはず」「マカロニ・ウエスタン(B級作品)に出ているような俳優に芸術的センスがあると思えない」といったステレオタイプに、ある人が当てはまってしまったとき、その人の本質と離れたところで、そのイメージは強烈に固定されてしまう。

自分自身の実体とかけ離れたイメージを持たれたとき、そのイメージが自分自身にとって好ましいものであると、それを手放さないために空しい努力を繰り返してしまう。

「イメージ」って怖い、と思いました。

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これは、何も映画やエンターテイメントだけでの話ではなく、企業でも同じことが言えると思います。

私の仕事の範疇でいえば、まず、会社のブランディング。本当の価値を伝えていくためには、地道な積み重ねが必要ですし、大きな出来事がすべてを叩き壊すことがあります。

また、大きなインパクトを過剰に活用して成功したとき、下手をすると、実体とイメージのギャップを覆い隠すのに、空しい時間を過ごすことになるでしょう。

そして、人事。

企業の中で人が人を判断するときであっても、「イメージ」から自由になるのは難しいことだと思います。では、従業員ひとりひとりの実体に即した「イメージ」が社内で流通するためにはどうしたらいいのか。

それを個人の責任に帰結させてしまうことは簡単です。しかし、働く人ひとりひとりの実体を、経営・人事のみならず、現場のマネジメント層も理解して、適材配置し、彼らをマネジメントすることができたら、確実に会社のためにもなるはず。

それに対して人事は何ができるのか、考えてみる価値があるのではないかと思います。

皆さんはどうお考えになるでしょうか。

今回参考にさせていただいた情報源

「ひとインタビュー」148回 奥田瑛二
(どらく: 朝日新聞Webサイトのエンターテイメントセクション)

(2010年7月8日)

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