第89回 何百回の「コンチクショー」の上に成り立つ「普通」

昔、フリーランスの編集者をしているとき、取材先を探すのに苦労したのは「普通の人」でした。

ソーシャルネットワークメディアどころか、e-mailもない時代の話ですから、とにかく人づてに探すし
かない。「普通の人」と言っても、記事になる話を持っている人であることが望ましいのですが、正攻法
で企業に取材依頼をしたら、役職がついた「偉い人」の杓子定規な話で終わってしまうことも少なくあ
りませんでした。

そんな中、「特に華やか目立っているわけでもないが、周りの人には一目置かれているような人」にお会
いできることがあります。彼らをじっくりとインタビューしていくと、「会えてよかった」と思うような
話に突き当たりました。その後、編集の仕事は離れてしまいましたが、傍からみて「普通」に見える人
が静かに持っている力については、いつも意識してきたように思います。

最近、彫刻家の佐藤忠良氏の訃報を新聞で目にしました。次の日の日経新聞に、画家の安野光雅氏の弔
文が寄せられていました。

それは、佐藤氏に対する尊敬の念が丁寧に語られる良質な文章でしたが、その中に、二人には『ねがい
は「普通」』という共著があり、ごく最近『若き芸術家たちへねがいは「普通」』というタイトルで再販
されたことが書かれていました。

これだけの「大御所」たちが、“普通”を願うとは?と興味を惹かれ、さっそく購入。改めて「普通」に
ついて考えました。

安野氏はその中で、「このごろの絵や彫刻やすべて、いわば表現と呼ばれているものを見ると、「普通に
やればいいのになあ」と思うんです。表現する以上、誰よりも目立つことをしなくちゃいけないと考え
ているような傾向が感じられます。

コマーシャルなんかほとんどそう、普通じゃないでしょう?ああいうのを見ていると目をそむけたくな
ってくる。中には普通なのもありますが、実に珍しい。でも、普通の、ごくごく普通のときほど、こち
らの胸には迫ってくるものです。・・・・・

建築でもそうですね。現代建築は奇妙なことをします。すぐダメになるのになあ、奇妙なことをしない
で、ごく普通にやっていればいいのにと思います。長い時間を経れば、手間がかかって目立たない建築
の方が落ち着いて人々にも認められるものです。」

一方佐藤氏は、そうした安野氏のデッサン力を、大変な素描力であるが、ただ上手だとか小器用という
ことではなく、「自然を観察しながら、それで失敗を繰り返し、「コンチクショー」と思いながら、何百
回やり直したかわからない線が一つの形になっている」ことがすごいことだ、と称賛します。
(もちろん「失敗したな」と思うものもあると告白していますが・・・)

何百回の「コンチクショー」の上に成り立つ「普通」。

私が憧れにも似た感情を持ってきた「普通」というのは、奇を衒うことなく、目の前にある目標や課題
の本質から離れないように、繰り返し挑戦を続けることができる力のことはのではないか。そして、そ
の結果として身についていく品格のようなものに憧れるのだ、と気がつきました。

そもそも「普通」の意味は・・・という反論や疑問があることでしょう。

私自身がまだ明確な焦点を結べている感じがしていないままに話をしているのが心苦しい限りですが、
極端に空気を読んで周りに同化しようという流れ、逆に目立ってしまえば勝ちという風潮。そんなもの
に感じる違和感の元について共有できればと思いました。そして、この震災でも、私の憧れる「普通」
の人が多数静かに活躍されているのではないかと想像しています。

参考にさせていただいた書籍

『若き芸術家たちへ ねがいは「普通」』


(2011年4月21日)

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