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丼家の店舗を舞台に、ビジネスの世界でのエスノグラフィーの可能性(と同時に難しさ)を感じる一冊

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『丼家の経営 24時間営業の組織エスノグラフィー』
田中研之輔 著
法律文化社 2860円

- 評者

大島由起子 インフォテクノスコンサルティング株式会社
Rosic人材・組織ソリューション開発室/
人材・組織システム研究室 管理者














概要

 「プロティアン・キャリア」を提唱して、最近(2021年4月現在)人事業界界隈で取り上げられることが多い田中研之輔氏が、2005年に上梓した一冊。田中氏は社会学者として、エスノグラフィー(文化人類学や社会学において使用される調査手法)の手法をベースに数冊の本を出版してしますが、本書は「丼家」(具体的には吉野家や松屋、すき家など)の店舗運営に焦点を当てた一冊となっています。

 エスノグラフィーは、観察やインタビューといった質的なデータを用いて対象を理解するための方法論と言われますが、そのユニークな特徴は、観察対象に観察者自らが入り込み、内側から対象を理解しようとする点です。田中氏も、エスノグラフィーの一貫として、実際にある丼家の求人に申し込み、アルバイト店員として働くという経験をしています。また、純粋な顧客としての経験も、「私の丼家の食べ歩きは、2008年7月から2015年の現在に至る7年間、北海道から九州まで、関東圏の店舗を中心に百店舗を越えた。海外店舗にも、機会あるごとに、食事をしてきた。」というほど、豊富に積み重ねています。

 田中氏は、「(丼家の店舗のシステムは)労働者を機械化し、脱人間化させた代償で成り立っているのではないか。丼家の労働は、脱人間化した労働であるのか、それとも、働きがいを得られる労働であるのか」という疑問を抱きながら、店舗経営の構造、機能、戦略について内在的な考察を加え、店舗経営のマネジメントの実態を明らかにし、丼家の労働の実態をあぶりだしていこうとします。

 本書のリソースは、前述のアルバイト店員としての経験と顧客視点での観察に加えて、書籍などの公開情報、そして、実際の店員たちへのインタビューと、多面的かつ定性的なものとなっています。

 「経営やマネジメントに科学」を、という考え方が一般的になっていますが、意識的に「定性情報」に注目し、掘り下げていくと何が見えてくるのか?本書の冒頭にもその言葉が引用されていますが、経営の本質を「サイエンス、クラフト、アート」であると看破したミンツバーグ教授がいうところの、「アート」を紐解くひとつの挑戦としての一冊といえるでしょう。

<目次>

序論  丼家の店舗
第1章  店舗の儀礼
第2章  店舗の管理
第3章  店舗の窮状
第4章  経営の極意
結論  丼家の経営
補論  丼家の系譜
あとがき

お勧めのポイント

 私自身は、本書でいう「丼家」に数えるほどしか行ったことがありません。私が若かった頃(相当、昔です)に、「若い男性がお腹を満たすためにいく店」というイメージが強かったことが、尾を引いているのかもしれません。今では、年齢や性別を超えて多くの人のニーズを満たす店になっているということは、ビジネスパーソンの基礎知識として知っている、という程度の関わりです。

 そんな私にとっても、内側の視点から描かれる店舗の様子は、文句なく興味深いものでした。一度、近くの「丼家」(会社の近くには、松屋と吉野家があります)に行ってみたいと考えるようになっています。エスノグラフィーの面白さ、可能性を感じました。

 同時に、読書中のメモには、田中氏の筆致は肯定的である事象に対して、「これはある種の搾取ではないのか?」とか、「従業員の視点から見るとひどくないか?」といったことが書かれてもいます。正直、モヤモヤしたものが残る内容もあった、ということです。 

 対象企業に取材を依頼して、正式に受けてもらうという関係が企業(店舗)と著者の間に成立しているとすれば、本書が持つ色合いが、店舗経営に対して肯定的なバイアスがかかって語られることになることは、著者がバランスを取ろうとしたとしても、避けることは容易ではないでしょう。

 読者としては、それを理解したうえで、自己の発想を拡げ、さらに深めるための素材として、自身の課題感を軸に読み解いていく、そうした立ち位置を意識することが肝要だと感じました。

 もしこのエスノグラフィーという手法を、自分たちのビジネスの現場の課題発見や解決のために使っていくとしたら、関わる人、登場人物の役割を明確にしたうえで、主観・バイアスの存在は前提として、新しい視点の獲得や隠れた課題や成功のカギの発見に意識を集中させていくことが、キーポイントになるだろうと思いました。

 本書が出版されてから6年が経っています。本書に出てくる店員の方々は、日本語を母国語として話す、日本で生まれ育った人たちであろうと思われます。2021年の現在はおそらく、日本語がネイティブではない、文化背景が異なる店員が増加していると想像します。「働き方改革」の大きな波もやってきています。更にはコロナ禍でテイクアウトという新しいサービス形態も店舗運営に加わっています。そうした中で、店舗運営成功の本質は変わっていないのか、大きく変わっているのか、是非、続編を読んでみたいと思わされます。

 ビジネスの世界でのエスノグラフィーの可能性(と同時に難しさ)を感じたい方、純粋に丼家の店舗でどんなドラマが繰り広げられているか知りたい方、手にとってみてください。

<追記>
ところどころに誤植と思われる単語が見受けられるのですが、この本の肝となる結論を語るまさにその一文にも、おそらく誤植があると思われます。 P191 「感化されてならないのは・・・」とありますが、おそらく「看過されてならないのは・・・」ではないかと。意味が真逆になります。本書の主張からすると合点がいかず、何度も読み返してしまいました。そこで、誤植なのでは?と思い至った次第です。もしお読みになる方は注意してみてください。

(2021年4月5日)

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