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その測定は、本当に好ましい行動変容を生み出すのか?測定信仰の罠に落ちないために

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『測りすぎ なぜパフォーマンス評価は失敗するのか?』 ジェリー・Z・ミュラー 著/松本裕 訳
みすず書房 3300円

- 評者

大島由起子 インフォテクノスコンサルティング株式会社
Rosic人材・組織ソリューション開発室/
人材・組織システム研究室 管理者














概要

アメリカ・カトリック大学の歴史学部の教授で、近代ヨーロッパの知性史、資本主義の歴史を専門とする著者は、
「標準化された測定が過度に信用・神格化され、外部との比較や評価・報酬の根拠として使われていくと、意図していない方向へと人々の行動を変容させ、その結果として、測定が意味をなさないだけにとどまらず、多大な害を及ぼすことになる」
ことに気がつき、大きな危機感を覚えます。

例えば、
警察は、検挙率を上げるために、死体を見なかったことにする。
学校の教師は、学校の評価を上げるために、生徒に試験で高得点を取るための"技術"を教える。
医師は、手術の成功率が下がって自分の評価が低下しないように、難しい手術を避ける。・・・
これらは、「測りすぎ」たために、アメリカで実際に起きた事実です。

そこで著者は、警察や軍、医療や教育現場などで実際に起きたショッキングな事例をふんだんに紹介しながら、そうした悲劇が何故起こるのか、そうした落とし穴に落ちないためにはどうしたらいいのかを、具体的に紐解いていきます。

本書は、「測れないものは、改善できない」「測定できるものは、すべて改善できる」「客観が正しく、主観には信頼がおけない」「判断は科学的根拠をもって行われるべき」などなど、現代の信仰の様相を呈している考え方に一石を投じます。そうした考え方を信じている人たちが、「自分もその罠にかかってしまっていないか?」を考えてみるきっかけとなる一冊です。

<目次>

はじめに 
Part I 議論
1. 簡単な要旨
2. 繰り返す欠陥

Part II 背景
3. 測定および能力給の成り立ち
4. なぜ測定基準がこれほど人気になったのか
5. プリンシパル、エージェント、動機づけ
6. 哲学的批判

Part III あらゆるものの誤測定?――ケーススタディ
7. 大学
8. 学校
9. 医療
10. 警察
11. 軍
12. ビジネスと金融
13. 慈善事業と対外活動

補説
14. 透明性が実績の敵になるとき ―― 政治、外交、防諜、結婚

Part IV 結論
15. 意図せぬ、だが予測可能な悪影響
16. いつどうやって測定基準を用いるべきか ―― チェックリスト

お勧めのポイント

アメリカの教育界での話・・・・・

アメリカで2002年に制定されたNCLB法(No Child Left Behind Act)は、経済的・社会的に不利な状況にある児童・生徒の学力向上を主眼とした法律。人種間の学力格差をなくしていくための努力を学校に求め、その結果を測るためのテストが導入された。そして、学校にはその結果についての説明責任が課され、成績向上に貢献できなかった校長や教師があぶりだされ、時には職を追われることになった。

その結果、2つのことが起きた。まず、テスト関連以外の教科や一般的な「教育」に割く時間が大幅に減らされることになった。また学習の方向性も、いかにテストで高い点数を取るかということに力点が置かれるようになる。

二点目は、「上澄みすくい」が行われるようになった。これは、低い点数を取る生徒を、最初から受験対象者から除外してしまう、ということだ。テキサスとフロリダでは、学力の低い生徒をあらかじめ「障害者」に分類して、成績の平均点を引き上げる操作が行われていることが明らかになった。のちに、他の州でも同様のことが行われていたことがわかった。

もともと、出自によって学習能力の差が固定されてしまわないようにと導入されたシステムが、当初の目的を達成できなくなっていくただけなく、その本質から大きく離れていく様はショッキングです。しかし、人間の性を考えれば、こうした結果を生み出したこと自体は、実はさほど驚くべきことではないことがわかります。

著者はすべての「測定」を否定するものではありません。実際に「測る」ことで成果を上げた事例にも焦点を当てて、解説を行っています。

では、その成否を分けるものは何か。
私が本書から読み解けたことの一つは、
「測定結果が他との比較の基準となり、そのランクづけが自らの処遇や報酬決定に使われ、関わる人が自分たちの地位やプライドが脅かされると感じてしまう場合、逆効果の方向へ向かってしまう」ということです。
逆から見れば、「測定が、自分たちの文化に根差し、自分たちが行っていることの質の向上のために使われており、その測定方法と結果の利用について、すべての人が納得できているときには、大きな力を発揮する」
ということになります。

もうひとつ、アフガニスタンとイラクに駐在していた暴動鎮圧活動の戦略家である、デービッド・キルカレン氏の話も示唆に富んでいました。

キルカレン氏は、自分たちの活動が、アフガニスタン情勢の安定と安心、福利にどれだけ貢献しているか、(つまり自分たちの行動のアウトプットの価値)を測定するためには、外来野菜の市場価格の変化を見るといい、と言います。なぜかについては、是非本書を紐解いていただきたいと思いますが、まず「外来野菜の価格に注目するべきと判断する」こと、そして外来野菜の市場価格の変化から「何を読みとくことができるのか」は、現場を知らず、標準化した測定(多くの場合インプット基準が採用される)に頼っている者には到底できないだろう、と看破しています。(後だしジャンケンのように、後から「それは当然だよね」とは言えるかもしれませんが)

そうした話を著者は、
「成功と失敗を測る有効な測定基準を開発するためには、現場について深い知識が相当に必要になる。しかも、汎用的なテンプレートや公式を欲しがる者にとっては腹立たしいことに、その知識は他の状況ではまったく応用できないかもしれない。難しいのは、何を数えればいいかを知ること、そうやって数えた数字が何を意味しているかを知ることだ。」 とまとめています。

私自身、人材データの活用という領域で活動をしていますが、こうした著者からのメッセージに身につまされる思いを感じるとともに、進むべき方向へのヒントをもらうことになりました。

特に、今注目を集めているISO30414の扱いが、本書の著者の懸念と重ならないといいのだが・・・、と思ってしまいました。結構、危険な匂いを感じます。

データ分析・活用に関わる方に、是非一読していただきたい一冊です。

(2021年7月8日)

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