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第31回 ベテラン社員の経験と技術を生かし、労働力減少時代に立ち向かう

東京メトロ株式会社
前人事部長 榎本進氏

関東の鉄道会社では初となる「65歳定年制」を導入したのが東京地下鉄(東京メトロ)です。同時に賃金の仕組みも見直し、社員が長く生き生きと働くことができる環境を整備しました。労働力人口が年々減少していくこれからの日本社会にあって、会社の経営と社員のモチベーションを両立させる仕組みづくりとはどうあるべきなのでしょうか。制度改革に携わった榎本進さんに話を伺いました。

前人事部長 榎本進氏

1990年 帝都高速度交通営団(現東京地下鉄株式会社)入社。
駅や車掌などの現業研修を経たのち、人事部にて各種人事施策の企画立案に取り組む。 その後、事業開発部、営業部などでキャリアを重ねたのち、営業部営業企画課長、経営管理部課長、鉄道統括部次長を経て、2016年から人事部長。
(2019年4月1日から鉄道本部営業部長)



60歳以降も安定的に働ける仕組みを

65歳定年制を導入するきっかけは何だったのですか。

公的年金の支給開始年齢の後ろ倒しに伴い、定年延長について労使間で検討を始めたことがきっかけでした。以前の定年は60歳でしたが、定年後も嘱託契約やグループ会社への再就職という形で65歳まで働くことはできました。しかし、嘱託の場合、契約は1年ごとの更新であり、例えば病気等で就業が困難となった場合は契約が継続されないため、働き手から見ると不安定な仕組みでした。

また、非管理職の職位は定年以降、係員の仕事にほぼ限定されるという問題もありました。弊社には、係員、助役、といった非管理職の職位があり、それより上の区長からが管理職となります。これまでの制度では、助役が60歳を過ぎて嘱託として働く場合は、原則係員として業務に従事することとなっていました。

60歳以降も正社員として安定的に働いてもらえるようにすることに加え、非管理職の社員がそれまで培った経験や技術を最大限活かすことのできる職位で業務を続けられること。その2点が大きなポイントでした。

以前は、定年後の働き方は具体的にどのようなものだったのですか。

管理職の場合、定年前にグループ会社に出向となり、そこで定年を迎えた後に、その社へ再就職して65歳まで働くというのが一般的なパターンでした。新制度でも管理職は出向となるケースが多いのですが、籍は65歳まで弊社に残ることになります。一方、非管理職は弊社内で60歳までの職位を継続して65歳まで働くことになります。

60歳定年制の場合、まだまだ働ける人の経験やスキルを生かせないことが端的に「もったいない」と感じます。

私たちもそう強く感じていました。弊社の場合、とりわけ係員と区長の間の職位である助役の経験と技能が現場では非常に重要です。その職位の人たちに長く働いてもらうことが、経営上の課題でもありました。



責任ある立場の人を手厚く処遇する

定年延長以外に変更した人事制度はありますか。

賃金制度ですね。従来の制度では、年齢によって一律に上がっていく基礎給と、能力に応じて上がっていく職能給を合わせて本給としていました。そこに役職手当や住宅・家族手当が加わる仕組みです。

この中で私たちが問題だと感じていたのは職能給です。これまで職能給は昇格がなくても青天井で上がっていく仕組みで、同一資格での経験が長くなると上位資格の人の職能給を抜いてしまうケースがありました。つまり、職位の処遇の逆転が発生するということです。それだけでなく、職位が上がらなくても給料が上がるので、昇職意識が希薄になってしまうという問題もありました。

そこで、これまで職能給として支払われていた給与の一部を役職手当に振り当てて、責任ある仕事をしている人がより手厚い処遇を受けられる仕組みにしました。

これまでの制度は年功序列の色合いが強かったわけですね。

鉄道会社の社員の処遇は年功序列が最もわかりやすいという側面があります。というのも、鉄道のほとんどの業務では、毎日決まった仕事をしっかりこなすことが求められるので、同じ職務の中で社員ごとの成果の差を見極めづらいからです。

確かに、例えば駅員の仕事を成果で判断することは難しいですよね。

そうなんです。したがって、むしろ「経験を積めばあの人のようになれる」というモデルを示す方が社員のやる気につながるというのがこれまでの考え方でした。その年功序列の考え方は、鉄道会社である以上、これからも必要だと思います。一方で、一人ひとりの社員の成長や挑戦へのモチベーションをもっと高めていかなければならないという課題もあります。職能給の仕組みを変えたのが、まさにそのような問題意識のあらわれでした。

手当の仕組みなども変えたのですか。

子育て中の社員への手当てを増額しました。また、これまでは新卒入社を前提とした制度設計になっていたところを、昨今の中途採用の増加を受けて、中途入社の初任時に年齢や経歴などに応じた職能給を定める仕組みを取り入れました。

60歳以降の賃金モデルはどのようなものになるのでしょうか。

以前は60歳を過ぎたところで本給が一律に下がるモデルでした。新しい制度では55歳から毎年基礎給が段階的に下がり、60歳以降は一定水準になるモデルにしています。

定年後の再雇用、もしくは嘱託契約の仕組みの場合、人事評価の対象外になるのでモチベーションが下がってしまうという話をよく聞きます。定年が延びた場合、評価の仕組みはどうなるのでしょうか。

定年延長後は60歳以降も社員として働いてもらうことになるため、評価は60歳以前と同様に行います。そのため、これまでのように60歳を境にしてモチベーションが下がることはないと考えています。


「今までどおりでいい」という考えを打破したい

制度改革の話が出てから新制度が実施されるまで、どのくらい時間がかかりましたか。

労使間で最初の問題提起があったのは2011年でした。その後、13年に定年延長と賃金制度変更を合わせて進めることを労使で確認しました。そして、具体的な制度設計を行い、組合に正式に提案したのが16年の秋です。そこからおよそ1年半をかけて18年の3月末に新制度を導入しました。
新制度に対する社員からの反発はありましたか。

大きな反発はありませんでしたね。というのも、新制度に移行することで社員に不利益が発生することはほぼなかったからです。

55歳から段階的に基礎給が下がるというのは一見デメリットのようですが、65歳までで見るとトータルの額は変わりません。むしろ、60歳以降に安定するモデルになっています。

私たちが特に気にかけたのは、係員の職位の人たちの生涯賃金が新制度になっても変わらないようにすることでした。この職位には運転士なども含まれるのですが、中には「生涯運転士でい続けたい」という人もいます。そのような人も不利益にはならない。そんな制度設計になっています。

65歳まで働きたくないという人もいるのではないですか。

その声は確かにありました。特に50代後半の社員の中には、60歳をゴールにして働いてきたのに、いきなり5年もゴールが延びてしまったことに戸惑いを感じるという人もいたようです。また、現場では泊まり勤務もある仕事なので、65歳までとなると体力的に厳しいという人もいます。

運転士の仕事などは、60歳を過ぎてから続けるのは難しいかもしれませんね。

法律的に電車の運転士の上限年齢は決められていないのですが、おっしゃるように、肉体的な衰えは確実にあると思います。従来も前述した嘱託契約で65歳まで運転していた人も数多くいますが、一人ひとりの状況を見極めながら、運転士の業務を離れても定年まで安心して働ける環境をつくっていくことが必要だと思います。

一般に、人事制度などの社内の仕組みの改革には大義が求められます。新線建設などの大きなプロジェクトがあればそれが大義にもなり得ますが、現在は御社にはそのようなプロジェクトはありませんよね。社員の皆さんに対してどのような形で大義を示したのですか。

私たちは、新制度導入に際して二つの理念を掲げました。一つは「労働力人口の減少を見据え、ベテラン社員の技術・技能を最大限引き出せる制度を整え、労働力を確保するとともに、社員が安心して長く活躍できる仕組みを構築する」、もう一つは「賃金・処遇制度も同時に見直すことで、社員一人ひとりの成長・挑戦への意欲を喚起する」です。

労働力減少への対応は、どの企業でも制度改革の大義になりますよね。同じく、「元気な人に働ける環境を用意する」というのも、一つの大義になるのではないかと思います。いずれにしても、関東の鉄道会社初となる先駆的な取組みであることは間違いありませんね。

企業を取り巻く環境の今後の変化を考えれば、鉄道会社といえども安泰ではありません。社員の中にある「今までどおりでいいんだ」という考えを打破し、前向きに頑張っている人をしっかり処遇し、挑戦できる土壌をつくらなければならない──。それがこの制度変更の根本にあった想いでした。その想いを社員にもきちんと伝えていくことが大事だと思います。

本日はどうもありがとうございました。

取材・文  二階堂尚
取材協力  楠田祐(HRエグゼクティブコンソーシアム 代表)

(2019年3月)

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