特別対談

第1回 日本企業の女性活躍推進から多様化推進までの先進事例を学ぶ(前半)

第1回 日本企業の女性活躍推進から多様化推進までの先進事例を学ぶ(前半)

岩切 貴乃氏(株式会社東芝 多様性推進部 部長)
桑原 靖子氏(株式会社INAX 人事・総務部 EPOCHダイバーシティ推進室 室長)

【ナビゲーター】
楠田祐(戦略的人材マネジメント研究所 代表)


岩切 貴乃(いわきり たかの)氏 プロフィール

岩切 貴乃大学卒業後、1983年東京芝浦電気株式会社 総合研究所(現 株式会社東芝 研究開発センター)入社。分析業務、分子エレクトロニクス研究に携わる。その後、研究職から事務職に転換し、海外PCの商品企画担当で、マーケティング・市場分析・競合分析・商品企画に従事。事業企画、グローバルセールス、経営企画を経て、2004年10月から男女共同参画を推進する「きらめきライフ&キャリア推進室」兼務。2007年4月から現職。

桑原 靖子(くわはら やすこ)氏 プロフィール

桑原 靖子1990年大学卒業後、株式会社INAXにショールームアドバイザーとして入社。お客さま相談センターの相談員などを経験後、営業部門に異動し、新規事業プロジェクトに参画。タイル担当営業となる。(この間に職群を転換。)2002年から全国のショールーム展開の企画設立担当。2004年より兼務で女性活躍推進プロジェクト、人事改革プロジェクトに参画。2005年10月にEPOCH女性活躍推進室設置と同時に室長に。2009年10月に組織名変更し、現在に至る。


女性活躍推進、両立支援、ワークライフバランスなど、多様な働き方の実現に真剣に取り組む企業が増えています。しかし、始めてはみたもののどうもうまくいっていない、もしくは気がついてはいたけれど本格的には取り組んでいないという企業も少なくないようです。そこで、今回は、日本企業として早い段階から女性活躍推進に取り組まれ、現在は多様化推進まで活動を広げて実績を出している、2社の担当責任者にお越しいただき、その歴史から具体的な取り組みまでお話を伺いました。

― 組織ができた背景と経緯

社長が直接指示、社長直下の組織としてスタート

【楠田】 
最近、企業の人事部に訪問すると、「楠田さん、これから女性活用していかなければならないのですが、どうしたらいいでしょう」と相談を持ちかけられることが少なくありません。そこで、今日は、そうした人事の方々に、先進的な事例をお伝えできればと思い、女性活躍推進に早い段階から積極的に取り組んでいらっしゃる、東芝の岩切さんと、INAXの桑原さんにお越しいただきました。

お二人はそれぞれの企業で女性活躍推進活動の立ち上げ段階から参加されています。また、2社とも歴史の長い日本企業ですから、多くの日本企業の人事の方々にとって参考になる点が非常に多いはずです。そして、「女性活躍推進」からスタートした活動が、うまく「多様性推進」に発展していっていると伺っていますので、そのあたりまでお聞きできればと思います。

では最初に、それぞれの会社で、いつ、何がきっかけで組織ができたのか。そしてプロジェクトを推進して軌道に乗せていくにあたって、肝となったこと、苦労した点などを教えていただけますか?では、まず東芝の岩切さんからお願いいたします。

【岩切】
現在、私の所属は「多様性推進部」ですが、その前身は「きらめきライフ&キャリア推進室」という男女共同参画を目指した組織です。「きらめきライフ&キャリア推進室」ができたのは、2004年の10月のことです。

その設立の経緯は2000年にさかのぼります。2000年というのは、電機会社が総じて大きな赤字を出した年です。弊社も例外ではなく、翌年の2001年には早期退職を実施することになりました。その結果、仕事に対して人が足りないという状況に陥ってしまい、残った人たちは仕事に忙殺され、組織のモラールダウンを引き起こしてしまったのです。

そこで、2002年に組織活性化プロジェクトが立ち上がりました。翌2003年にはその一環として従業員の意識調査を実施しました。TEAMサーベイと言い、Toshiba Employee Activity & Morale サーベイの略です。もちろん、TEAMに通常のチームの意味も込めています。

事業の好不調によって結果に違いがあることは予測しておりましたが、サーベイの結果、男女間の意識に大きな差があることが分かりました。例えば、「働きがい」に関して、男性は「仕事は自分の能力を伸ばしてくれる」と考えている一方、女性はそうではない。例えば、「仕事が能力とともにステップアップしているか」という質問に対して、男性は肯定的だが、女性の評価は劣っているなど、明らかに性差による違いがあることが浮き彫りになりました。

このTEAMサーベイの結果は、プロジェクトの報告の一環として、当時社長であった岡村に報告されました。この結果を見た岡村は、「86年に雇用機会均等法ができて既に17年も経つのに、東芝は未だにこんな状態なのか」と驚かれ、「こうした状況を是正し、男女共同参画を進める暫定組織が必要ではないか」と、男女共同参画を推進する組織を作るというプロジェクトが動き出したのです。そして、2004年10月に、社長直轄の組織として「きらめきライフ&キャリア推進室」が立ち上がりました。

【楠田】
社長が直接指示をして、自分の直下の組織にしたわけですね。

【岩切】
その通りです。こうした組織は人事部の下に作られることが多いと思いますが、人事部とは異なる組織として社長直下に独立してスタートした、というのは弊社の特徴かもしれません。既存の枠組みにとらわれないで、自由闊達にやってほしい、ということだったと思います。

【楠田】
具体的にはどのような組織だったのですか?

【岩切】
専任の女性3名と兼任の男性2名、それに人事担当役員の谷川が室長を兼任するという6名体制でスタートしました。そして、この組織はあくまで暫定で、終わりが決まっていたのです。

【楠田】
最初から、時限組織だったということですね。それは興味深い。

【岩切】
ええ、期限は2年半。谷川には、「2007年3月までに、とにかくできることは全部やること」と言われました。

ただ、2年半経ったときには、社長が岡村から西田に交代していました。当初の約束どおり、組織の今後について経営会議にかけられました。社長の西田からは、ようやく浸透し始めたところで、組織を解消したら、すぐに逆戻りしてしまうだろう。ここで手綱を緩めないで、常態化を図らねばならない、と言われました。
弊社で取り入れているシックスシグマ運動で言われていることでもあるのですが、物事は常態化しないとダメだと。後戻りしない状態まで、続けていくことになりました。

また、当時会長となっていた岡村からは、「確かに東芝本体の中には活動が浸透してきたように感じられる。しかし、国内のグループ会社12万人にメッセージが届いたかというと、そこまでは至っていないのではないか。次のステップとして、グループ会社にも活動を広げて欲しい」と言われました。

そこで、2007年4月に対象を国内グループ会社まで広げ、ジェンダーの違いだけではなく、障がい者や外国人、年齢の違いをも視野にいれた「多様性推進部」に改組しました。

その改組に当たって、担当役員の谷川が思い切った決断をしました。それまで人事部の中にあって、処遇制度関連を担当していた勤労企画担当を、多様性推進部の傘下に入れたのです。谷川に直接聞いたわけではありませんが、コンセプトづくりから仕組みづくりまでを一環して考え、現行の人事制度を多様性推進の観点から棚卸をするという意図があったと考えています。

人事部と別組織として立ち上がったという点もユニークだと思いますが、さらに人事部から処遇制度チームを持ってきてしまったというのも、幣社の非常にユニークな点だと思います。

環境の変化を背景に、部門横断の組織として発足

【楠田】
トップの本気度が違いますね。魂が入っているというか。

【岩切】
そうですね。トップの、今、変えていかなければいけない、という思いがとても強かったのだと思います。そういう意味で、私たちはとてもラッキーだったと思います。

【楠田】
そもそも、岩切さんはどういう経緯でこの組織に抜擢されたのですか?

【岩切】
2004年7月時点で、東芝本体の女性役職者は、3万人の従業員の中で、50名に満たなかったのです。初期のメンバーに女性役職者を入れたいという話があったと聞いています。第一線で活躍している研究者や、ライン長を現場から引き離すわけにはいきません。そうして消去法の結果、PC事業部で参事という肩書きだった私に白羽の矢が立った様です。

又、私は入社当時は研究所におりましたので、技術者の経験もあり、商品企画や営業で事務職の経験もある。又グローバルセールスの仕事もしたことがある、ということで、この仕事に適した経験を持っていると判断された面もあるようです。

異動の話が来た時には、「なぜ私が?」という驚きも半分ありました。ただ、その頃開催されていた社外のウィメンズフォーラムなどに自ら申し込んで参加するなど、こうした活動に興味をもっていました。又、私は雇用機会均等法以前に入社していますから、いろいろな局面でそれなりの苦労もみてきました。そうしたことを考えるとある意味適任なのかな、と思って受けることにしました。

【楠田】
東芝での多様性推進部の成り立ちについてよくわかりました。では、今度はINAXの桑原さんに、INAXのEPOCHダイバーシティ推進室についてお伺いしたいと思います。

【桑原】
弊社の組織が立ちあがったきっかけは、2004年の6月頃に発売された「日経ビジネス」に、女性の活躍推進テーマの記事が掲載されたことでした。その記事を、弊社の当時の専務取締役で営業本部長の浅井が読んで、「これはINAXでも取り組まなければならない」と声をあげました。常々「なぜ住いに関する事業を展開しているのに、女性の役職者が少ないのか?」「なぜ優秀な女性社員が、配偶者の転勤で辞めなければならないのか?」などと感じていたところに、その記事が目に入り、行動に移されたのです。そこで専務が、営業本部にいた男性2人と女性2人にプロジェクト発足の声をかけた、というのがスタートになります。その1名が私でした。

確か、2004年の6月に専務に「お昼を食べに行こう」と誘われ、鰻をごちそうになりながら(笑)、プロジェクト発足の話を聞いたことを覚えています。その頃、私の中には、あまり疑問もなく働いていましたので、専務の話を聞きながら、改めて考えてみると、確かにやらなければならないことかもしれない、と漠然と感じたことを覚えています。まさか、その先に自分がその主担当になるとは夢にも思っていませんでしたね(笑)。

ちょうど同じ時期に人事部でも抜本的な人事改革に着手し始めておりました。そこで、浅井が常務取締役人事本部長だった多田に話を持ち掛け、別々に活動するのではなく、人事改革プロジェクトと同時に女性活躍推進プロジェクトを進めよう、ということになりました。会社の中でどのような問題があるのか、それを解決するためにはどうするのが良いのかなど、調査・検討するプロジェクトです。そして、人事2名生産技術から4人(男女2人ずつ)営業4人(男女2人ずつ)の計10人でプロジェクトが立ち上がりました。

上手く同時に進めることができましたが、振り返ってみると、その頃は、住宅市場などINAXを取り巻く環境がどんどんと変わっていった時期、住宅の新規着工件数が頭打ちになり、ストック市場にどう対応していくか、が大きな課題になってきていました。そういった環境の変化にどうやって対応していくか、ということを社内のいろいろなところで、模索を始めていた時期だったのだろうと思います。

【楠田】
一本の記事がきっかけで、営業のトップと人事のトップが協力し合って立ち上げた。INAXさんもトップ層の問題意識がスタートだった、というわけですね。

【桑原】
そうですね。やはりそういったトップの問題提起があったから、スタートも早かったのだと思います。プロジェクトの最初の1年間は、社内にはどのような女性がどういった部門にどの程度いるのかをマッピングしたり、退職理由を洗い出したり、社員意識調査の数字を分析したりしました。現場のヒアリングを実施したり、他社の事例を勉強したりもしました。

その中で課題は見えてきたのですが、全員が兼任だったので、その課題の具体的な打ち手の実施にこぎ着けませんでした。
これらを解決してくためには、やはり専任の組織が必要だろうということになって、今の組織の前身である「EPOCH女性活躍推進室」が設立されました。そこで一旦プロジェクトは解散だったのですが、私は人事発令が出て、私自身が新しい部署に専任者として異動することになったのです。

他社の事例は参考になるけれど、真似はできない

【楠田】
最初の組織は何人くらいで?

【桑原】
設立当初は、専任で2人でした。が、研修のことは人材開発課、制度などについては人事労務課と一緒に進められることもあり、出来うることをがむしゃらにやるしかなかったですね。また、プロジェクトメンバーの一部の人たちを兼任という形で残してもらい、相談できる体制にもなっていました。

【楠田】
「EPOCH女性活躍推進室」は、組織上はどういう位置づけだったのですか?

【桑原】
人事部の組織に属しています。人事部には人事労務課、人材開発課、採用企画課がありますが、それに横断するテーマとして、横串をさしたような位置づけだと理解しています。ここは東芝さんと異なるところですね。これは企業のおかれている状況や社風、誰のどの程度の影響力があるか、などによっても考え方が違うんだと思います。INAXとしては、人事制度などと密接な課題が多いと認識していたため、人事部という同じミッションの中に入ったことは、制度を改革する上でとてもやりやすかったし、よかったと思っています。何しろ、人事部長のミッションの中に「ダイバーシティ」が入っているため、協力しあって取り組む“仲間”がたくさん出来たような感じでした。

【楠田】
営業から人事部、実際にいかがでしたか?

【桑原】
INAXに入ったときには自分が人事に所属するなど考えたことがありませんでしたから、まったく人事という仕事について勉強不足でした。なので最初は通信教育で人事・労務関連を勉強しました。そうした知識が女性活躍を推進するうえで必須かどうかは別として、ずっと営業畑で生きてきた私が、人事の人たちとコミュニケーションをとって物事を進めていくうえで、「共通言語」を持ったことは正解だったと思います。

【楠田】
メーカーの人事は、入社以来人事、という人が少なくないですからね。岩切さんの組織は、人事とは別組織ですけれど、人事・労務の知識について感じたことはありますか?

【岩切】
知識というか、文化について驚いたことがありました。最初の頃、何を始めるにもVoice of Customerが重要だろう、ということで、従業員の声を聞くアンケートを実施しようと計画したことがあります。そのことを、勤労企画の責任者に相談したところ、「こういうのは、組合の仕事じゃないの?」と言われて、カルチャーショックを受けたことがあります。従業員の声を聞くことが何故いけないのか?当時の私にはまったく理解できなかったのです。

後でわかったことですが、それぞれの職域を犯してはいけないという意味があったようです。組合員からの声は組合が把握し、女性組合員の抱える問題は労働組合の女性部から要求が出されるのが普通だったようです。しかしながら、私たちは、管理職も含めた全女性の声を聞きたかったため、そうした既存の枠組みを超えていく覚悟が必要でした。

ベンチマーク企業

【楠田】
当時、ベンチマークとしていた企業はありましたか?

【岩切】
当時の松下電器産業さん、今のパナソニックさんでしょうか。

【桑原】
そうですね。松下電器産業さんでしたね。やはり、早くから取り組まれていましたから。それから、帝人さんにも伺いました。あとは資生堂さん。ただ、日本企業は少なかったと記憶しています。

【岩切】
やはり進んでいたのは外資系企業ですよね。IBMさん、GEさんとか。ただ、外資系企業の事例は参考になるお話や学ぶべきところはある反面、アジア地区の本部として活動しているというケースも多く、基本的なところは本社からの指示も多く、アプローチも強制力も異なっていました。

桑原さんが挙げられた資生堂さんもすばらしい取り組みをされていましたが、従業員の中の女性比率を考えると、環境や条件が弊社とはかなり違っていたのです。

ですから、他社の事例は参考にできても、真似をするのは難しいかな、と。課題自体は各社それほど変わらないのですが、話を伺えば伺うほど、その会社の風土とか、置かれている立場によってアプローチの仕方を変えていかないと、絶対にうまくいかないと感じました。

【桑原】
岩切さんがおっしゃった通り、どこかの会社の成功事例をそのまま真似するということはできないと思いますね。それに気がついてからは、社内で考えていくにあたっての情報インプットとして、いろいろな企業のお話を伺うようになりました。

具体的な施策・今後の活動について伺った後編は、こちらからご覧いただけます。

バックナンバー

破壊と創造の人事

無料メール講座

イベント・セミナー一覧一覧

気になるセミナー・イベント、研究室管理者が主催するセミナー・イベントを紹介します。

スペシャル企画一覧一覧

特別インタビュー、特別取材などを紹介します。

ご意見・お問い合わせ

Rosic
人材データの「一元化」「可視化」
「活用」を実現する
Rosic人材マネジメントシリーズ