HR Fundamentals : 人材組織研究室インタビュー

第26回 昇進すれば部下を幸せにできる 階段を上がる毎に見える景色は変わった

第26回 昇進すれば部下を幸せにできる 階段を上がる毎に見える景色は変わった

株式会社日立ソリューションズ 常務執行役員     富永 由加里 氏

日立グループ国内初の女性執行役員となった富永氏は、雇用機会均等法施行の5年前に技術者として就職。総合職として自ら道を切り開いてこられました。今回は、執行役員というポジションに到達するまでの経緯、仕事と子育ての苦労、これからキャリアアップを目指す女性へのアドバイスなどを伺いました。


富永 由加里 氏  プロフィール

株式会社日立ソリューションズ 常務執行役員。日立グループで、国内初の女性執行役員。1981年に日立コンピュータコンサルタント株式会社(現・日立ソリューションズ)に総合職で入社。29歳の時に出産し、産後8週間で職場に復帰。1994年、システムエンジニアとして就業管理システム「リシテア」の開発に企画段階から従事し、会社の主力製品に育て上げる。2007年に同社初の女性本部長、2011年に執行役員に就任。ダイバシティ推進活動にも積極的に取り組んでいる。著書に、『3年後のあなたを変える働き方』(すばる舎)。


「大卒・理系・男子」を募集していた時代に、総合職技術者としてスタート

― 富永さんが現在のポジションに就かれるまでの経緯を教えてください。


1981年、大学の理工科学部を卒業して、現在の日立ソリューションズの前身である日立コンピュータコンサルタント株式会社に入社しました。70年代後半、日立製作所は情報処理産業に乗り出したのですが、その一環として、自社で作ったハードウエアやソフトウエアの使い方を指導するための組織として設立されたのが日立コンピュータコンサルタントでした。当時は社員が100名程度で、私はその3期生でした。

私が就職活動をしていた頃は、「女性の就職は結婚までの腰かけ」といった風潮が主流でしたが、理工学部という技術系の勉強をしていたこと、ずっと働き続けていた伯母を近くで見てきたこともあって、長く働き続けたいと考えていました。ただ、当時理系の女性を男性と同じように受け入れてくれる企業はごく少数に限られていて、情報系の業種で数社のみ、という状況でした。結局、学校推薦で1社、教授推薦で1社を受けたのですが、一般向けの新卒募集のパンフレットを見たら、「大卒・理系・男子」と明記されていました。今では考えられませんが、そういう時代だったのです。

結局、教授推薦をいただいていた、新しくできたばかりの「日立コンピュータコンサルタント」に入社が決まったのです。ただ、私たちエンジニアは全員、日立製作所に派遣入所ということになり、実際の職場は日立製作所本体でした。

3カ月の研修後、私は製造業系の部署に派遣されました。そこでは生産管理を担当したかったのですが、現場のきつい仕事は女性にはさせられないということで、CADの担当となります。しかも、CAD構築ではなく、お客様にプレゼンをしたり、教育をしたりするセールスエンジニア的な仕事を任されました。1981年は雇用機会均等法施行の5年も前ですから、「女性にふさわしい仕事」といった暗黙の決まりがあったと思います。それでも、諦めずに、システム構築の仕事に関わりたいと強く希望し続けました。

1987年、出産を機に、日立製作所への派遣入所が終了しました。産後8週間の産休から戻ったときには、日立コンピュータコンサルタントに復職。87年というのはバブル経済の最後の頃で、仕事はいくらでもある、という時期でした。「管理職は、退職者を出すと査定が下がる」と言われていた時代です。ですから、「子供ができたら辞めてほしい」といったプレッシャーはまったくなく、逆に、上司から「辞めないで帰ってきてくれるよね?」と念を押されるくらいでした。今から考えると、いい時期に出産・子育てができたのだと思います。

とはいえ、仕事と子育ての両立は決して楽ではありません。私の母はもともと四国に一人で住んでいたのですが、出産を機に、育児のサポートをしてもらうため、東京に引っ越してきてもらいました。母の支援がなかったら、仕事を続けるのはとても困難だったと思います。母には本当に感謝しています。


戦力外通告と思った部署への配属が、後のキャリアアップの重要なポイントに


復職当時は、ちょうどシステムのオープン化の時期で、ホストコンピュータからワークステーションやパソコンへの移行が進んでいました。それに関連したビジネスは機動力を持って取り組む必要があるということで、販売やビジネス開拓を子会社に任せていく方針が出されました。弊社では、「外販部」がそれを担う部署でした。私は、復帰したとき、その部署に配属されたのです。新しい分野を扱う部署でしたから、仕事内容はある意味「何でもあり」。配属された時、「この部署は、どんな商品をどんなお客様に提供する部門ですか?」と質問したら、上司から「それを今から作っていくんだ」と言われ、戸惑った記憶があります。

その中で、オープン系のシステムを使った、ビジネスアプリケーションの開発やプレゼンテーションを手がけるようになります。生産計画のシステムや食堂管理システムなど、様々なアプリケーションを作り、売っていきました。そんな中で、たまたま3社くらいから、勤怠管理システムのご発注をいただいたのです。それならば、共通化できるところは共通化して、お客様個別の部分は個別に開発するという形で進めたらいいのではないかということになりました。これが現在の勤怠管理システム「リシテア」という製品の前身になります。

ただ、最初から専任部隊を作って製品化を目指したというわけではなく、勤怠系システムの仕事がない時には別の分野の仕事をしていました。そのうち徐々に勤怠系の仕事が増えていって、最終的には専従で開発・販売をするようになりました。

正直に申しますと、産休明けに、「何でもあり」の外販部に配属された時には、実質の戦力外通告だとショックを受けたのですが(笑)、結果的には将来につながる重要なポイントとなりました。この仕事で、課長という管理職に昇進することになります。


一緒に仕事をしたことがない人に、何を言われても、気にしない

― 著書『3年後のあなたを変える働き方』の中では、課長への昇進を打診された際、一度は断ったとお書きになっていました。昇進したいというお気持ちはまったくなかったのですか?

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自分の仕事ぶりは、お客様がよく理解してくださっているから、それで十分と考えていました。まだまだ子育てに追われている時期でもあり、これ以上の責任を負うべきではないと思ったというのもあります。ですから、最初に打診があった時には、「課長にはなりたくない」と断ってしまったのです。すると、そのことを知った当時の本部長に呼ばれて、「あなたはそれでいいかもしれないけれど、あなたの部下はそれでいいの?」と言われたんです。「昇進すれば、今以上の権限を持つことになる。そうすれば、部下をもっと幸せにすることができるんだよ」と。それまで、そんな視点で考えたことがありませんでしたから、その言葉は衝撃的でした。当時主任だった私には10数人の部下がいましたが、昇進することで、彼らの未来を作ることができる、と思ったら、断る理由がなくなりました。



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課長になってみると、見える景色ががらりと変わりました。出席する会議体のメンバーも変わりますし、自分の責任と判断で動かせるビジネスの範囲や、打ち手の選択肢も格段に広がります。これは、その後昇進する度に感じたことです。まだまだ見えていなかった世界があるのだと。もちろん、執行役員になったときにも、同じことを強く感じました。

最近、昇進を望まない若者が増えていると言われています。しかし、昇進すれば、それまで会うことができなかった人たちと関わることになり、新たな刺激を受けることができます。自分自身の影響力も増しますので、お客様のため、部下のため、社会のために、自分の信じることを実現できる範囲が格段に広がります。ですから、チャンスがあれば、尻込みせずに、積極的に挑戦していってもらいたいと思います。

― 女性で課長になったのは、御社では富永さんが始めてですか?

そうです。その後、部長になったのも、本部長になったのも、すべて私が女性初でした。執行役員就任は、弊社だけではなく、日立グループの中で、国内初のことです。執行役員になる際には、グループ全体で新任役員研修を受けるのですが、当時の会長が「この場に女性がいるのを、初めて見た」と言ったが印象的でした。

― 女性として順調に昇進していくなかで、男性社員からねたまれたりしたことはありませんでしたか。

そうしたことを感じたことがないと言ったら嘘になります。以前は、「あなたは女性だから恵まれている」と言われたこともありました。ただ、さすがに最近はなくなりました。

― そうしたことを言われて悩んだことなどもありましたか?

そういうことを言う人は、私と仕事をしたことがない人です。ですから、気にしませんでした。何も知らないのに、そんなこと言えないでしょう、と心の中で受け流していました。


仕事と育児の両立のために、2カ月だけ、引っ越し・転校をしたことも

― 仕事と子育ての両立について教えてください。お母様が手伝ってくださったとはいえ、ご苦労があったのではないでしょうか?

子育てを手伝ってくれていた母が、長期入院をしたことがありました。当時娘は小学校2年生で、帰宅後夜遅くまで、一人で家に置いておける年齢ではありませんでした。休職も考えたのですが、仕事の調整がどうしてもできない。そこで、長野に住んでいた夫の母に、月曜日から金曜日まで神奈川の家に出てきてもらって、サポートをしてもらいました。しかし、それも4カ月が限界でした。そこで、練馬に住んでいる姉の家に私と娘が引っ越したのです。娘は短期間でしたが、転校。私はそこから通勤しました。

結局母は6カ月で退院することができましたので、そうした生活は2カ月で終わったのですが、娘は嫌だったと思います。教科書も違うし、友達もいないし、家に帰れば間借り状態ですし。でも、無事に母が退院でき、元の学校への転校手続きを終えたとき、娘が「ママが一番頑張ったよ」って言ってくれました。その言葉を聞いて、さすがに目頭が熱くなりました。私が必死に頑張っていた姿を、ちゃんと見ていてくれたんですね。でも、そんな風に娘にも苦労をかけてしまったということも含めて、この時は本当に苦しかったですね。

― 社内で「女性初」を続けてきた富永さんですが、女性だから困った、やりにくかったということはありませんでしたか?

若いときは、男性と同じ仕事をさせてもらえないというストレスはありました。ただ、それは現実として受け止めるしかなくて、地道に目の前の仕事で成果を出して信頼を勝ち得ながら、「もっと仕事がしたい」「もっと任せてほしい」ということを発信し続けていきました。

外販部に移って、第一線で仕事をするようになってからは、「女性だから損をした」といったことは、正直ほとんど感じたことがありません。1980年代、90年代前半は、女性がビジネスで外に出て行くことがまだまだ珍しかったですから、かえって「若い女性」がプレゼンテーションに行くと歓迎されるようなところはありましたね。また、そんな風に、お客様に対して沢山のプレゼンテーションをしてきましたから、初対面の方と会ったときに物おじしなくなっていったというのも、プラスに働いていったと思います。


結果を急ぎすぎないこと。失敗を恐れずに、今できることに全力で取り組む

― 富永さんのようなキャリアを目指す女性へのアドバイスはありますか?

若い女性でキャリアアップをしていきたいと考えている方々と会う機会が多くなっているのですが、急ぎ過ぎているな、と感じることがあります。早くキャリアアップしなければと思うあまりに、実態とのギャップにストレスを感じて、自信を失ってしまうのです。

「ゴールを設定し、それを目指し続けるのが大事」という考え方に、過剰に適応してしまって、思うようにゴールに近づいていけていない自分に焦ってしまう。そうして自信を失ってしまうと、今度は逆に振れて、チャレンジをしなくなってしまう。これはもったいない話です。

「私は子育てで時間がないから」とか「語学力がないから」、「○○の知識がないから」と、自分にないところ足りないことを数えて、焦っても仕方ありません。確かに、目指すところに到達するためには、いろいろなことをやっていかなければならないでしょう。でも、一日は24時間しかないんです。それは誰にも変えられません。ですから、やるべきことの優先順位をつけて、今できることに一生懸命取り組むしかありません。「ねばらなぬ」という考えから一旦離れて、失敗してもいいのだ、挑戦すれば失敗があるのが当たり前、失敗から多くのことを学べばいい、と考えてください。キャリアアップを目指している女性たちは、優秀な人が多いし、ポテンシャルもあります。もっといろいろなことを経験して、一歩一歩進んでいけば、今は実感しづらくても、必ず成長していますから、自信を持ってください。

― 現在、ダイバシティの推進にも力を入れられていると伺っています。経営者の視点から、ダイバシティ推進についてはどうお考えですか?

弊社の今年の新入社員は4割が女性でした。外国籍社員も1割を超えてきています。女性も外国籍社員も一つの部署に固まることなく、いろいろな仕事をするようになっています。管理職の数も増えています。

しかし、例えば、「厳しい」「大変」と考えられているプロジェクトには、やはり男性が多くアサインされているという傾向は見受けられます。それは差別というよりも、配慮に近い。しかし、そうしたところにこそ、女性や外国籍社員を入れて、彼らの新しい視点から、現状を大きく変えることができるのではないかと思っています。ただ、なかなかそこまでは踏み込みきれていないのが現状ですね。定着してきたダイバシティの幅をどう広げていくかが、今後の課題だと考えています。


自社のビジネスに関わることに関心を持って ハード面とソフト面からマネジメントを

― 最後に、人事の仕事をしている人たちに、経営者の視点から、アドバイスをいただけますか。

人事の仕事には「競合」が存在しませんから、意識をしていないと、それまでの方法を綿々と踏襲するだけで、一応業務をこなせてしまうと思います。そこから一歩出て、業界動向や競合他社などについても含めて、自社のビジネスに関わることに関心を持つことが重要ではないでしょうか。そうした中で自社の社員は戦っているのですから。

会社規模が大きくなっていくと、人事が現場と直接関わるのは何が問題が起きたときだけ、となりがちです。そうなると、「問題が起きないためには」というリスクヘッジばかりに目が向きがちになってしまいます。でも、実際には、大半の社員が、会社に貢献しようと頑張っているんです。その点を理解しながら、人事の仕事をしてほしいと思っています。

人はルールを決めただけでは動きません。人には感情や気持ちがあります。ルールというハード面と、感情・気持ちといったソフト面の両面をバランスよくマネジメントしていくことが重要でしょう。特に、企業の将来を決めていくのは、決められたことを単純に繰り返すというタイプの仕事ではなく、新しい道を切り開いていくタイプの仕事だと思います。そうであれば尚更、どうしたら後者の仕事を担える人材が活躍しできるのか、ソフト面の強化に取り組むことが重要ではないでしょうか。

― 本日はどうもありがとうございました。


取材・文 大島由起子(当研究室管理人)/取材協力:楠田祐(中央大学大学院戦略経営研究科 客員教授)

(2015年6月)

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