HR Fundamentals : 人材組織研究室インタビュー

第10回 次世代幹部候補育成のヒント 終身雇用にも異動にも、経済的な合理性がある

第10回 次世代幹部候補育成のヒント 終身雇用にも異動にも、経済的な合理性がある

山口大学 経済学部 内田 恭彦 教授

今回は、バブル崩壊後、アメリカ式を全面的に称賛し、日本が遅れているのだと断じる風潮に違和感を覚えたことから、日本型経営の合理性についての研究に取り組み始めたと言われる、内田恭彦教授にお話を伺いました。


内田 恭彦 教授  プロフィール

山口大学経済学部教授。1989年慶應義塾大学大学院社会学研究科修士課程修了。同年株式会社リクルートへ入社。組織活性化研究所、ワークデザイン研究室、組織人事コンサルティング室、ワークス研究所などを経て2004年神戸大学大学院経営学研究科助教授。2006年4月より山口大学経済学部准教授。2008年より現職。主な著書:『日本企業の知的資本マネジメント』(中央経済社)。

バブル崩壊後の日本企業の経営は、本当に「遅れていた」のか?

― 内田先生は、日本企業の経営のメカニズムに焦点を当てて研究されていると伺いました。何故、欧米でもなく、BRICsでもなく、日本企業なのですか?

90年代前半、日本でバブル経済が崩壊して、アメリカ型の経営マネジメントの考え方がもてはやされるようになりました。多くのビジネスパーソンが、こぞってアメリカにMBAを取得しに行きました。そして、一部の人たちは外資系コンサルティング会社に転職し、一生懸命アメリカの考え方・やり方を日本企業に伝えてきました。こうした一連の流れのベースにあったのは、「日本企業は遅れている」という認識だったように思います。

確かに、当時、アメリカから学んだことも多かったと思います。しかし、アメリカ式を全面的に称賛し、だから日本が遅れているのだと断じることには、とても違和感を覚えていました。日本にも、トヨタ自動車や、キヤノン、富士フイルムなど世界で勝っている企業もあるのですから。

実際にアメリカやヨーロッパにいくと、日本製品のステイタスは決して低くない。「なんで日本人はこんなに壊れないAV機器を作れるのか?」とか、「あの車は本当にいい」とか、現地の人たちが私に言ってくるわけです。ロンドンでタクシーに乗ったとき、中東出身のドライバーが、「トヨタのカローラが買えたんだ!」と嬉々として話してくれたりする。

そういう場面に遭遇する度に、なんで日本人は日本の企業のことをあんなに卑下するのだろう、と不思議に感じていたのです。

そして、株価の時価相場で企業力を測る考え方もあるだろうけれど、アメリカやヨーロッパの人たちが感じている日本企業の凄さ、競争力というのは別のところにあるのじゃないかと考えるようになりました。日本のマネジメントは駄目なところばかりではないはずだ、と。それが、97〜98年くらいのことです。そこから改めて、日本企業について研究し始めました。

また、99年にピーター・キャペリという学者が出版した、”The New Deal at Work”(邦題『雇用の未来』2001年発行)という本からも、大きく影響を受けました。

そこには、どうしてアメリカが終身雇用を捨てたのかが書かれていたのです。ご存知かと思いますが、アメリカでも70年代くらいまでは、結構終身雇用をベースにした企業がほとんどだったと言います。それを捨てることになった理由は経営手法の革新による「環境の変化」であり、その中の一つは日本企業の製品開発や生産技術を軸にしたコアコンピタンス経営があげられています。トヨタ、ホンダといった日本の二輪車・四輪車メーカーで、これらは終身雇用の企業です。

たとえば、それまでは、自動車の開発期間は9年・10年とかかっていたのに、日本企業は4年でフルモデルチェンジをしてくる。品質の高い、壊れない製品の価格は高くて当然という風潮だったのに、日本企業は高品質で、消費者の個別ニーズに対応でき、しかも壊れない製品を低価格で市場に次々と出してくる。これでは勝負になりません。

そこで、アメリカ企業は、自分たちのやり方はダメだ、ということで終身雇用を捨てていくわけです。その構造を知ったときは衝撃的でした。環境が変わったから終身雇用をやめる、それは理解できる。しかしその環境を変えた原因の一翼は、その終身雇用を続けている日本企業が担っていたのですから。

日本企業の経営メカニズムを言語化し、合理性を明らかに

それからは、日本企業のように技術主導でやってきた組織が、環境の変化を先取りしていくために、それまでの強みを抑え込んでしまうようなマネジメントを導入していくことが正しいのか。例えば、終身雇用を捨てて、成果主義といった制度を取り入れていくことは、本当に日本企業を強くするのだろうか、という目で物事を見るようになりました。

日本企業の経営者の発言にも注目しましたが、確かに、「アメリカンスタンダードがグローバルスタンダードじゃない」とか、「日本には日本のやり方がある」といった発言をしている人はいるものの、感覚的で、合理的な説明にはなっていませんでした。もちろん、一部の経営者は、自分たちのやり方の正しさを経験的につかんでいたのだろうと思います。しかし、それを分析的に言語化したものはなかなか見つからない。

一方、多くの人たちは、その時々の「流行りもの」が声高に伝えられると、それらを列挙することで安心していたといった状況が、日本全体で起きていたように思います。そこで、終身雇用に代表されるような日本的経営の合理性を解き明かして、ここは悪いけれどここは良いと、分析的に理解することが必要だと痛感して、この分野の研究を進めていきました。

― その中でも、特に、正社員に注目しているということですが。

1995年に日経連が「雇用ポートフォリオ論」という考え方を発表し、終身雇用を前提とした正社員以外の働き方の可能性を模索することを推奨したのです。そこから雇用問題なども発生して、パート・アルバイトの研究に取り組んだ研究者が多かった時期でした。しかし、私は、逆に、「そもそも正社員って何だ?」ということが気になり、日本企業の中の正社員というエリアに、研究対象を収斂していったのです。

実際そこに対象を絞ってみると、当初本当に不思議と思われることが多くありました。そもそも何故、終身雇用なのか。なぜ、定期的な異動が行われているのか。職能資格制度って何なのか。合理的に説明されていないことばかりなのに、それが日本企業の競争優位性を支えてきたという事実が一方で歴然と存在している。

例えば、企業は環境の変化に対応することが重要、と言いますよね。終身雇用とは、大卒22歳で入社した社員を定年退職55歳として、33年間雇い続けるということです。経営計画の見直しを3年毎に行っていくとしたら、11戦略タームがあることになります。それに対して、基本的に同じ人材をアサインしていくということになります。つまり、環境の変化に伴って戦略を変えれば、必要な人材資源も変わるはずである、という考え方とは相容れないのです。どうしてそんなことができるのか、疑問は増えるばかりでした。アメリカ的経営論では、論理的に説明がつかないのです。

よく、日本型経営の「三種の神器」として、終身雇用・年功序列・企業内労働組合と言われます。これらは何か経済合理性に相反するようなイメージがありますが、日本企業が成功してきたということは、資本主義の下で利益を創出する仕組みと必ずつながっているはずなのです。

終身雇用の合理性

日本型経営の合理性について考えているとき、中世の「交易」という商売の形態に目が留まりました。例えば、インドネシアのマラッカ諸島のコショウ。当時マラッカ諸島では、半ば自然にできるコショウを庭先に集めて干して使うだけでした。値段は非常に安い。しかし、それをヨーロッパに持っていった瞬間に「黒いダイヤモンド」と言われるくらいの価値を生み出しました。ブローデルという大変に有名な歴史学者の『物質文明・経済・資本主義』という著作の第2巻「交換のはたらき」という本には、黒胡椒の売値は仕入れ値の100倍だったと記されています。

当時は冷蔵庫などない時代ですから、肉の保存には苦労していたはずです。ハーブを使ったり、オリーブオイルを使ったりしていたところに、まったく異なる解決方法が入ってきたということで、非常に高値がついたのでしょう。これは地域間の価値の格差を利用して利益を上げるというビジネスモデルですね。

ブローデルはこのような交易を中心とした資本主義の形態を「商業資本主義」と呼びました。

このモデルをもう少し構造的に考えてみましょう。企業活動は<インプット>―<スループット>―<アウトプット>とみることができます。

インプットはマラッカ諸島のコショウの調達、アウトプットはヨーロッパでのコショウの販売。このインプット・アウトプットの間の価値の格差が利益の源泉、というわけです。そしてこの価格差が生まれるのは2地域間の価格体系差によります。このモデルであれば、間にあるスループットはできるだけ軽くて制約がない方がいい。そして、環境の変化にいち早く対応できるかどうかが勝負になってきます。

例えば、「コショウをオランダに持っていこうと思ったけれど、数週間前に○○商会が大量にコショウを持ちこんだらしい。では、今はフランスにいった方が高く売れるだろう」といった判断力とそのスピードが利益を生み出していきます。そうなると、内部プロセスは軽い方がいいし、判断スピードを上げるためにトップダウン方式が合理的な選択となります。

現代では、金融ビジネスやM&Aで内部効率性を高めながら事業領域を拡大するビジネスなどがこのモデルに当てはまるでしょう。M&Aは販売市場を考えながら企業を調達するものと考えられるのです。

では、日本企業、特に世界の技術をリードしているような製造業はどうか。

他の企業には到底真似のできないような技術と製品で顧客を魅了し、その独自性によって価格競争に巻き込まれないようなビジネスを実現している企業です。ここでは、企業の独自性が重要になってくるわけですから、スループットにどれだけ独自のノウハウを貯めこめるかが利益の源泉になります。

先ほどのモデルとはまったく異なる戦略が必要になるということです。日本企業の終身雇用の合理性は、このモデルによって説明がつくのではないかと考えています。

先ほど、70年代くらいまでは、アメリカの企業も終身雇用を採用していたと言いました。それは、メーカーであるかぎり、他社と異なるノウハウを作っていかないと戦っていけないはずですから、合理的な選択だったと考えられます。調べていくと、アメリカでも内部に企業独自のマネジメント体系を作り上げることで、ビジネスを成功させている例が多く見られます。

例えば、フォード自動車。フォードが繁栄していた時代の生産システムは、鉱山から、石炭を運ぶための鉄道、湖を渡るための船舶の輸送機能、部品生産機能などあらゆるものをすべて自社で抱えていました。こうして一貫した独自の技術によって生産工程を構築すること、およびそのためのマネジメント・システムを構築することが成功要因となったわけです。

つまり、市場という環境に合わせていくことが利益の源泉ではなく、内部に企業独自の技術と管理ノウハウといった知的財産を持つことが利益の源泉だったのです。ですから、戦略として、終身雇用を選択する合理性は、このようなビジネスモデルを選択するのであれば成立すると考えられます。

異動の合理性

日本で行われている「異動」も興味深い仕組みです。

例えば、アメリカの企業では基本的にスペシャリストを育てるという考え方がベースにありますから、異動をさせると、本人が新しい勉強をする必要が出てくるし、周りの人もその人に教えなくてはならないから、不要なコストが発生する、と考えます。

また、異動させられる個人も、自分の専門以外の仕事をさせられて、中途半端な知識を持ったとしても労働市場で評価されるわけではないから、敬遠する。つまり、異動というコストをかけても、得られるものが何もない、という結論になります。ですから、定期的な異動といった仕組みを持っている企業は少ないはずです。

しかし、日本では、定期異動という仕組みを維持し続けています。しかも、関連する部署間だけではなく、関連性の低い部署への異動も珍しくない企業が多い。新しい職務を満足に行うためにかかる学習コストをかけてもなお、異動を行う。ここにも、利益の源泉に繋がる合理性があるはずです。

80年代後半の研究で、同一もしくは関連の深い職能内で多くの分野を経験するような異動は、仕事の不確実性に対応できる効率性を持つ、という考え方が呈示されました。法政大学の小池先生が唱えられた知的熟練論です。このタイプの異動は、関連性の深い職能内の範囲に留まるため、学習コストが比較的低く済みますし、仕事に変化や異常があった場合に原因を推察する力が醸成されるので現場が効率的に問題解決を行えるというメリットがあるということです。

ただ、実際には、異動部署間の関連性が低い、非連続な異動は珍しくありません。優秀な営業課長を人材開発部の課長に据えるといった異動がこれに当たります。こちらのタイプは、先ほどの「効率性」では説明がつきません。

こうした非連続的な異動では、「推論学習」が行われているのではないか、と考えています。これは、比較からその差異と共通性を認識し、それにより対象を相対化し、総合化していく学習、ということです。

もう少し噛み砕いて言うと、A部署から、B部署というAとは関連性の少ない部署に異動した場合、A部署との違いと共通点という視点かからB部署の業務を理解し、A部署での経験・知識を最大限に使って、学習していく、ということです。

例えば生産技術部門で工場の生産部門に対してより良い生産技術の導入を提案していた人が営業に異動した場合、最初は関連性のなり全く異なる職務と認識するでしょう。しかし生産技術も営業も「顧客に対して課題解決を提案していく仕事」と認識した途端、二つの職務には強い共通性が生まれます。そうすると生産技術部門で働いていた時の経験が活きてくるのです。例えば商品内容を知ることと同様に顧客の問題の原因をきちんと理解しないといけないなどです。これは典型的な類推学習です。

共通点を活用して学習コストを下げるという点も大事ですが、異なる視点から既存の部署を捉えるという経験を通じて、多様な状況への対応や自社業務や組織への深い理解といった、異動前にはなかった新しい能力を取得する機会になっているのです。

例えば営業から企画に異動した人が、企画部門で検討していた対象顧客の絞込みに関する議論に参加した場合、営業現場ではあまり考えなかった顧客の絞込みの意味を知るという学習ができます。一方で一度顧客が自社から離れたならば、その関係を修復することの難しさや必要となる年月も知っているのです。またある製品は購買してもらえなくとも新製品を出したところ、その大口顧客になってくれたなどということもあるわけです。

多くの日本企業が有している考え、すなわち会社は長期にわたり存在すべきものという前提を置けば、一時の顧客の利益貢献度合いだけで単純に顧客層を弁別し、一部の顧客を切り捨てても良いのか、という問題になります。一時の利益貢献度だけで顧客を弁別することは時間の間尺に合わないのです。ここから短期と長期のバランスを見ながら自社の顧客とは誰なのかをきちんと検討することが必要という組織マネジメントに関する総合的な判断力が養われていくのです。

また、「ダイナミック・ケイパビリティ」という考え方からも、異動の合理性を説明できると考えています。

「ダイナミック・ケイパビリティ」とは、「意味づけをし、そして新たな機会をつかみ、知識資産、コンピタンス、補完的資産や技術を持続的競争優位の構築のために再構成する能力」(デイビッド・J・ティース)ということ。環境変化の意味を掴み、自社にとってどうすることがより利益につながるかを考え、それに向けて会社内にある知的資産を組み替えて、自らを変革し、価値創造を行っていく組織能力のことです。

この考え方を基に非連続的な異動を見ると、B部署に異動したときには、異動者には不足能力と過剰能力があるアンバランスな状態、と捉えることができます。不足能力については、上記のように類推学習によって能力を身につけていくわけですが、過剰能力を活用することで、新規能力獲得のコストを超えて余りある価値の創造ができるということがわかってきています。

それは、「組合せ活用」です。本来必要な能力が不足しているために、これまで持っていた能力(ここでは余剰能力)を最大限に活用して遂行しようとすることによって、思いがけない知識の結合が起こり、それまでにはなかった価値が創造されることがあるのです。それは、これまでの仕事に価値を付加したり、既存のプロセスや常識を見直すきっかけを生み出したりします。

こう考えると、もはや異動は、それがたとえ関連性の低い部署への異動であっても、コストではなく、価値創造を起こし、マネジメントの質を上げていくための合理的かつ戦略的な活動であることがわかります。

日本型企業の正社員のことを調べれば調べるほど、異動がいかに教育機能、育成機能として可能性を持っているかを実感します。しかし、それがあまり分析的には解明されていないし、明確な意図を持って運用されていない。今後は、このあたりをもう少し研究してきたいと思っています。

「職能非固定的で、企業の中で通用する特殊性のある、組織的な能力」

− そうした独自の合理性を追求してきた日本企業が次世代の幹部候補をどう選んでいるのでしょうか?アメリカ型とはずいぶん異なるのでは、と想像します。

内部に独自のノウハウを蓄積していくことを戦略とする日本型経営の企業では、経営幹部が育っていくプロセスはどうなっているのか。そもそも、幹部候補生はどうやって選択されるのか。「基準」というものが存在するとすれば、その基準となる能力は何で、組織の中でどのように機能しているのか。これらについては、いくつかの調査・研究を行ってきていますので、簡単に説明をしましょう。

まず、経営幹部候補者の保有能力を以下のように分類して考えてみます。

  1. 職能固定か職能非固定か: 特定の職種経験によって培われる専門的な能力か否か
  2. 企業に特殊な能力か汎用的な能力か: その企業でしか通用しない能力か他社でも通用するものか
  3. 企業特殊の中で、組織的か技術的か: 「人・組織」にかかわる能力か「技術に関わる」能力か

ここでひとつ見えてきたことは、職能非固定的で、企業の中で通用する特殊性のある、組織的な能力を保有している人物が、経営幹部候補として認知される傾向が強い、ということでした。もちろん、他の能力がいらないというわけではなく、候補者か否かを分けるポイントがそこに見られる、ということです。

例えば、「自社の強み・弱みを知っている」「社内ネットワークを築いている」「自組織の動かし方を知っている」といったことが、これに当たります。同じテーマを異なった角度から何度も調査していますが、こうした傾向が表れてきます。

富士フイルムの例を見てみましょう。富士フイルムはフィルム会社でありながら、デジタルカメラで成功していますね。この成功の源泉は、1981年までさかのぼります。

当時、ソニーがマピカという、磁気記録方式による電子スチルカメラを発表しました。このことが富士フィルムに大きなショックを与えたと言われています。そこですぐに社長直轄のデジタルカメラの研究組織を作っています。そしてなんと10年以上経った1991年に一般消費者用デジタル一眼レフカメラ「DS−100」を68万円で発売するに至るのです。

1998年には世界初の民生普及機用で150万画素CCD搭載のメガピクセル・デジタルカメラ「FinePix700」を10万円以下の価格で発売し大ヒット商品となりました。理由CCDというデジタルカメラの心臓部の技術が非常に優れており、高画質だったからです。

なぜフィルムという化学に基礎を置く会社にそのような高画質のデバイス開発ができたのかというと、同社にあった高感度のフィルムのノウハウ、すなわち光を吸収する粒子構造に関する高度な知識をCCDに応用したからでした。デジタル化という大きな環境変化において自社の過去の強みを活用することで適応していったのです。

ここでは、先ほど挙げた、「自社の強み・弱みを知っている」「自組織の動かし方を知っている」といった経営層の能力が遺憾なく発揮された例と言えるでしょう。

アナログのカメラがなくなるからどうしよう、で止まってしまうのではなく、世界がアナログからデジタルになるのであれば、変化したメディアの上で、自社のコンテンツ・強みをどう使っていこうか、と発想しているわけですね。

もちろん、こうした環境の変化に対して自社の知識だけでは不足している部分については外部から人を採用するという形で取り入れましたが、やはりベースとなっているのは、自社に蓄積された独自のノウハウと組織が利益の源泉であり、それをマネジメントしていける人物が経営幹部として選択されていた、というわけです。

先ほどお話した、終身雇用や異動というのは、実はこの「職能非固定的で、企業の中で通用する特殊性のある、組織的な能力」を育成するのに合った仕組みでもあります。

「柔軟」だと思った仕組みが、実は膠着を生むこともある

これは私の研究ではなく、一橋大学の沼上教授の研究なのですが、1970年代のアメリカと日本のデジタルウォッチ競争に関して非常に興味深いものがあります。結論から言うと、アメリカのデジタルウォッチを作っていた企業は全部負けてしまったのです。

技術的な詳細は割愛しますが、デジタルウォッチを製造するにあたって液晶技術としてLEDとLCDの2つの規格があり、技術特性から最初はLED技術が量産化に成功するが、その後LCDに取って代わられるということが予測されていました。

アメリカの企業は、まずLEDで市場に出て、LCDが量産化可能になった時期にLCDを技術導入して乗り換えようと考えました。アメリカ企業は取引システムが柔軟なのでそれが一番効率的だろう、ということです。

一方日本企業は、遅かれ早かれLCD技術に移行するのだから、最初からLCDの量産に取り組もうと考えたのです。このような競争の結果実際に生じたことは、日本企業によるLCDへの技術開発により、技術転換の時期が予測より1年早まりました。そしてアメリカの企業が量産が可能になったとして参入してきたときには、日本企業は累積生産量によるコスト効果およびそこで学習したノウハウ、および部品供給会社の技術力などで圧倒的に上回ってしまっていて、品質でも価格でも到底太刀打ちできなかったのです。

特に部品供給会社については特に大きな意味を持ちます。企業は、ひとつの製品を生産して販売するプロセスを、多数の企業ネットワークでつないでいます。

日本企業の場合、このネットワークが比較的固定的で柔軟性に欠けます。そこでLCD技術のように今すぐは儲からないかもしれないけれど、既存技術に取って代わると予測される部品に対して、部品メーカーはアセンブリメーカーの方針に沿って次世代技術開発を一緒にやっていこうという発想が出てきます。

一方、アメリカ型のネットワークは「弱い紐帯」という特徴を有しています。ここではアセンブリメーカーに対し部品メーカーはLCD技術のような次世代技術が花開くかどうかといったことは将来のことなので不確実性があります。そこでこれを回避するために今の儲けをベースに短期取引をする傾向があります。将来の利益のために変化を起こしたり、リスクを取ったりすることは非合理的なのです。これによりLCD規格のデジタルウォッチの部品を作る会社が育っていなかったのです。

短期でメンバーを変えることができる「柔軟」な仕組みだと思っていたところが、実は柔軟性があるがゆえに県境変化に対応できなかったのです。

沼上教授はこれを、「柔軟性の罠」と呼んでおられました。柔軟であるがゆえに環境適応ができなくなる可能性がある。長期的な変化を考えたとき、実は内部・外部を含めて固定的な方が企業もしくは企業グループ内に独自の技術を蓄積する力があるので勝る可能性があるということです。つまり、企業が競争に勝っていくとき、たとえ大きな変化があったとしても固定的な組織が完全に弱いとは言い切れないということです。

− 今、グローバル化に対応していくために、以前の日本企業の論理を捨てて、世界標準に合わせていかなけばいけない、というのが大きな流れになっているように感じますが、内田先生はどうご覧になりますか。

こうした視点で日本企業の強みをとらえていくと、今、「新中間層」といわれる、中国をはじめとしたアセアン、インドまで含めた市場に対して、日本が得意とする高付加価値の製品ではダメだ、低価格戦略を取らなければ負けるという風潮も、丁寧に検討していく必要があるのではないか、と感じているところです。

こうした地域でも、5年もすれば所得レベルが上がっていくはずです。そうしたときには、少し高くてもステイタスのある製品を買いたいと思うのではないか。昔の日本がそうでしたよね。だから、極端な話、最初の5年は低価格化を強く志向しても、基本的には技術を背景としたステイタス、ブランド力を維持・向上させ、生産技術を高度化させ、常にクラス最高の品質を追求するという考え方もあるのではないか、と思っています。

これまでは、「グローバルビジネス」というと、北米を中心に考える傾向があったと思いますが、これからは「新中間層」が中心になってくるはずです。では、こうした地域が主戦場になったとき、本当に今のままの人事、人材マネジメントで問題がないのか。そこで戦っていける人材、リーダーシップを発揮できるトップが育っているのかと考えると、正直まだまだできていない企業が多いのではないかと感じています。新中間層地域で活躍できる人材を育てていく、これはこれからの人事の大きなテーマのひとつになると思っています。

そんな中で、闇雲に新しい概念や、他の国の考え方に飛びつくのではなく、自社の強みと利益の源泉を理解したうえで、人事戦略を立てていってほしいと思っています。そのためにも、もっと日本企業の人事施策の合理性について研究を進めていきたいと思っています。

― 思い込みの罠にかかっていたのだなと思うことが沢山ありました。今後の先生の研究を楽しみにしております。本日はどうもありがとうございました。 ― 

取材・文 大島由起子(当研究室管理人) /取材協力: 楠田祐 (戦略的人材マネジメント研究所)
(2010年5月)

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